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今後の著作物のあり方について、自分なりに考えてみる

■ 自分の作ったものは、 どこからどこまで自分のものなのか。 この前はツイッターで 「パクツイ」のことが話題になってたけど、 もちろんそれはホントにただの一例。 たとえば、 自分のオリジナルアイデアだと得意になって作ったものが、 実はすでに他の誰かが考え出してたものだった、とか。 たとえば、 誰かが描いたイラストが人気になって、 みんながコピペして自分のTwitterとか FacebookとかLINEのアイコンにして拡散していく、とか。 「これ誰が描いたんだろ」と思いながら、 その絵をトレースしたり、あるいはタッチを真似したりして、 pixivにアップする、とか。 こんな感じで、 コピペや、それに類する模倣行為というのは 大多数において何の悪意もなく行なわれてる。 もちろんパクって、その作者よりも多くの利益をせしめようとする 悪徳漢が存在しないとは言わない。 しかし、だいたいにおいて、 それは何の悪気もなく、「好きだから」という理由で 無許可に使用されていることが多いように思う。 ■ 一方、こういうあり方に、 めっちゃ怒ったり問題視してる人たちがいる。 「自分の頭から湧き出たもの=自分の作ったもの」 という考え方を明確に持った人たちだ。 そもそも著作権、知的財産権なんてのは、 こういう考えから生じてきたものなんだろう、おそらく。 誰かが考えて考えて考え抜いた末に生まれたものを 大切に保護し、その利益を守りたいという気持ち。 オリジナリティを尊重し、正当な利益に結びつけようとする意志。 現代の創作の現場においては、 このオリジナリティ擁護派が、 コピペ拡散派と対立するという様相を呈してる。 そのように、ぼくには見える。 まあ、もちろん創作に限った話ではないんだけど。 ■ けど、実際、 著作権は誰に帰属するのかという問題は、 今後どんどん特定が困難になっていくように思われる。 国民一人ひとりを番号で管理しようという動きが 徐々に始まろうとしてるけど、 日本だけがそんなことをしたところで、 この無限に拡散していく著作物の流れを止めることって、 本当にできるんだろうか? たとえ世界的な動きに発展したところで、 完璧に阻止することなどできるのか? 「カンペ...

村上春樹のおもしろかった本、つまらなかった本。

Googleドキュメントの表をコピペしたら Bloggerでも表が作れると聞いて、 さっそく試してみたくなった。 けど、今のところ表を使って何か書かなきゃいけないものもないので、 戯れに、これまで読んできた村上春樹の本で、 自分がおもしろいと思ったものと つまらないと思ったものを仕分けて、 村上春樹の示してる分類ごとに比べてみようか。 おもしろかった つまらなかった 短篇小説 神の子どもたちはみな踊る 東京奇譚集 中編小説 アフターダーク 風の歌を聴け 長編小説 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 羊をめぐる冒険 長編小説 ねじまき鳥クロニクル 1Q84 エッセイ 走ることについて語るときに僕の語ること 意味がなければスイングはない。 ■ 短編部門は 『神の子どもたちはみな踊る』が面白かった。 「地震は私が起こしたんだ」とか 「かえるくんがミミズくんになっちゃった」とか、 印象的なシーンが多い。 ただし、表題作は他の短編に比べると微妙な印象。 『東京奇譚集』は、 ある程度、村上春樹というものに 慣れてきた頃に読んだものだった。 ははーん、村上春樹は今まで こういうものが書きたかったんだな と思いました。 けど、ほんとにそれだけでした。 どのエピソードも非常に物足りなく感じた。 ■ 中編部門は『アフターダーク』 ぼくは長い間、村上春樹が大嫌いだったんだけど、 この作品を読んで、評価を改めた。 文章はぎこちなく、下手くそだけど(わざとなのか?)、 ラブホテルという場所や 「カメラ」という視点をうまく使って 印象的なシーンをいくつも作り出してる。 一人称を三人称で語るってのは、 ちょっと小説を書いた人なら誰でも思いつくものだけど、 そのアイデアをここまで発展させたのには さすがに唸った。 『風の歌を聴け』は退屈でした。 本人も作家としての仕事は 『羊をめぐる冒険』からスタートって言ってますしね。 ■ 長編小説は 『 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド 』 〈ハードボイルド・ワンダーランド〉だけだったら 文句なしに面白かった。 もちろん〈世界の終わり〉と対にして ...

トーマス・ニューマンの映画音楽

■ 中学生の頃に激しく感動した映画やマンガというのは、 大人になっても変わらず自分の「名作」であり続けるらしい。 ぼくにもそういう作品がいくつかある。 そのひとつが、 トム・ハンクス主演の映画『ロード・トゥ・パーディション』。 マフィアである父と子の絆を描いた (・・・と言うと超陳腐な感じですが)良作です。 初めて見たのは映画館。 暗闇の中、エンドクレジットを眺めながら涙し、 「これが映画を見る楽しみか・・・っ!」 とひとりで勝手に納得し、 それから狂ったようにビデオを借りたり 映画館に足を運んだり、深夜映画を録画したり、 いろんな手段を使っては映画を見まくる日々を送ることになった。 たぶん1日3本は欠かさず見てたと思う、2年ぐらいの間。 (ってことは単純計算で730本?意外と少ないな。。。) 要するに、ぼくが映画が好きになるきっかけが、 この『ロード・トゥ・パーディション』だったというわけだ。 この映画、どうしても贔屓目に見てしまうところはあるんだけど、 やっぱり役者もいいし、ストーリーもいいし、映像もいい。 ただ、何より惹きつけられるのは音楽の良さだ。 トーマス・ニューマンによる、しっとりとしたリリックな、 だけど西洋音楽の手法にきちんと則った安定感のあるサウンド。 特に素晴らしいのがエンドクレジットで流れるこの音楽。 ■ ちなみにトーマス・ニューマンは この他にも多くの作品の音楽を担当してます。 特にヒューマン・ドラマ系の作品には 心に残るフレーズを残してる。 たとえば: ショーシャンクの空に The Shawshank Redemption (1994) ジョー・ブラックをよろしく Meet Joe Black (1998) グリーンマイル The Green Mile (1999) ペイ・フォワード 可能の王国 Pay It Forward (2000) ロード・トゥ・パーディション Road to Perdition (2002) ファインディング・ニモ Finding Nemo (2003) ウォーリー WALL・E (2008) トーマス・ニューマンが音楽やってる映画を 片っ端から見て...

現代における、理想的な創作スタイルとは。

■ 『食べて、祈って、恋をして』の作者。 エリザベス・ギルバートによるプレゼン。 お題は「創造性をはぐくむには」。 だけど、実際のところは 健康的に創作活動をするのに大事なことは何か 、 みたいなものとして見た、ぼくは。 ■ 「精神をやまないために」っていう考え方が革新的。 作家は一度ヒット作を生み出したりしてしまうと 次の作品では、前作を超えることができるだろうかみたいな、 そんな不安を抱いてしまう。 ぼくも2年ほど前、 『美学芸術学科にらた教授の講義録』を書いて このブログで発表したら、多くの人に読まれて、 続きを書く際には、第1講義と同じかそれ以上に面白いものを作れるだろうかと、 同様の不安を覚えた(結果としてプレッシャー負けして書けなかった)。 アマチュアでさえそうなのだから、 プロの場合なんか相当のものだろう。 想像するだにおそろしい。 彼女がプレゼンで提案するのは、 そういう 精神的なストレスに打ち勝つには どうすればいいか という実際的なアイデアだ。 ■ そのアイデアっていうのは要するに 人間には「意味不明な気まぐれ」ってのがあって、 そいつが自分をコントロールして 小説を書かせたり、音楽を作らせたり、絵画を描かせたりさせる、 そういうものなんだという考え方。 よくアーティストの人も 「降りてくる」 という表現で言いあらわしたりする。 人によっては若干「うさんくさい」という感じさえしてしまうかもしれない。 ■ しかし、古代ギリシャ・ローマだとそれは逆だ。 彼らは詩というものを 「ダイモン」(英語だとデーモン)によって書かされたものだと考えてた。 つまり、結果としてどんなにひどいものが出来ても、 それはダイモンが書いたものだから、 俺の責任じゃない 。 どんなに良いものが出来たとしても、 それはダイモンのおかげで書けたのだから、 俺には関係ない 。 そういう風に、 責任を転嫁すれば、肩の荷がおりる。 逆に言えばそうでもしないとやってられないくらい、 創作にかかるプレッシャーというのは重いということだ。 ■ ところで、このプレゼン、 ぼくは友人のにさだこ(@nisadako)といっしょに見てたんだけど、 その際、いろいろ面白いコメン...

2013/5/19 映画とアニメとマンガ。

■ 最近、ホラーが平気になってきた。 ジャパニーズホラーは相変わらず苦手だが、 スプラッター系くらいならまだイケる感じにまで耐性がついてきたらしい。 で、調子に乗って、 YouTubeで『モータルコンバット』のFatality動画など、 グロ系で噂には聞いていたが、 今まで手が出せなかったものに挑戦してみることにした。 ■ ニコニコ動画に上がっていた『白鯨伝説』を見る。 メルヴィルの『白鯨』から着想を得て、 独自のSF世界と壮大なストーリーが展開される。 子どもの頃、とぎれとぎれに見ていたものだが、 いま見ても面白い。 胸が熱くなる展開。魅力的なキャラクターたち。 非常に素晴らしいアニメです。 ■ 『新ナニワ金融道』が無料で読めるというので、 ダウンロードして読み始めた。 反則級の面白さだ。 時間も忘れてどんどん読んでしまう。 読んでいると元気も出てくる。 最近読んだ中でもイチオシのマンガだ。 x

【翻訳】MARXISM【マルクス主義】

Musicology: The Key Concepts (Routledge) から。 MARXISM マルクス主義というのは主にカール・マルクスとその共著者フリードリヒ・エンゲルスの著作に関するものだが、こういった著作を解釈し確固としたものにしようとするのちの試みもまた含まれる。その関心と影響の中心的な領域は経済と政治だけれども、マルクス主義には社会的・哲学的な側面もある。マルクスが強調しようと試みたのは、資本主義を検証することによって社会の経済的な基礎と、はっきりと社会的・経済的に規定された階級に抵抗・挑戦する意志である。マルクスにとって、社会とは経済的な基礎によって規定されるものだった。このことは、下層階級プロレタリアートの抑圧と搾取に基づいた社会・政治の関係を決定した。しかしながら、マルクスはこの階級を潜在的な力とみなした。それは革命的な政治的文脈の中で開放されうる。1848年のヨーロッパ中で起こった革命的な大変動はこの時期のマルクスの著作に劇的な文脈をもたらした。その年、彼の『共産党宣言』はふたつの極がひたすら負かし合ってきたという歴史観を呈した。 これまで社会に存在した歴史というのはすべて階級闘争の歴史であります。自由人と奴隷、貴族と平民、君主と農奴、親方と徒弟、ひとことで言えば、抑圧する者とされる者はコンスタントに取っ替え引っ替えを繰り広げてきたのです。邪魔されずに、時に隠れ、時に公然と戦いを続けてきました。それぞれの時代を、革命による社会の大規模な再構築か、戦っている階級の共倒れかのどちらかで終わらせてきた戦いを。(マルクス=エンゲルス 1998, 34-35) この歴史観が現在におけるマルクス理解を決定づけた。それはまたヘーゲル哲学の意識や弁証法的思考のあり方にも影響を与えた。マルクスはこれらの抵抗と敵対をテーゼとアンチテーゼの瞬間として、衝突をもたらす対照的な極として見た。そして、ここから新しい革命的な瞬間が生じようとしていた。しかしながら、たいていの議論はこのような行動や出来事の不可避性の問題と密接に関係してきた。 マルクスの著作が社会との関係の中で文化を理解することと大きく関係しているにもかかわらず、彼は芸術と文化の位置づけに関して、充分に発展させた理論はおろか、特にはコメントさえ寄せなかった。しかしながら、マルクス...

ジェイムズ・ディッキー『白の海へ』

■ コーエン兄弟の映画にはいつも驚嘆させられる。 『バーバー』のどぎついジョークの淡々とした描き方、 『ファーゴ』のグロいのになんか笑えてしまうブラックな面白さ、 『ノー・カントリー』のハビエル・バルデム演じる殺人鬼の気色悪いくらいの怪演、 『バーン・アフター・リーディング』の飛び抜けたバカっぷり・・・などなど。 とは言うものの、 デビュー作である『ブラッド・シンプル』はおろか、 アカデミー賞にノミネートされた『トゥルー・グリッド』でさえ、 まだ見られてないので、 コーエン兄弟のファンを自認できるような人間ではありません。 ただ、「 コーエン兄弟 」という名前がくっついてると、 「おお、コーエン兄弟かぁ。これは見てみないとなぁ」 となる程度には好きなのだ。 ■ そんなもんだから、 『 コーエン兄弟        × ブラッド・ピット 映画化決定、舞台は日本!! 』 なんて売り文句の本があったら、 読んでみたくなってしまうのも当然なわけです。 それが、ジェイムズ・ディッキー『白の海へ』。 ■ 1945年、東京大空襲のさなかに 不時着したアメリカ人兵士が、 父と暮らしたアラスカの大地を思い出しながら、 東京から北海道へとひたすらに北進していく。 その途上ではアサシン顔負けの武術を使って、 日本の一般人を次々とぶっ殺して 食料やら衣料やらを手に入れて、 北の国で暮らしていく準備を整えていく。 ただ、「暮らしていく」とは言っても、 彼が憧れている暮らしとは テレビ見ながら呑気に暮らすというのではなく、 「フィッシャーテン」のように毎日、 その日の食料を狩って生き抜く、いわばモンハンのような生活だ。 なので、ストーリーが進むとともに装備もかなり充実してくる。 白鳥の羽を詰めた上着、熊や山羊の毛皮、 いろんな用途に使えるナイフ、北の地に住む先住民から入手した槍・・・。 こうした要素を主人公が奪っていく過程は、 その暴力性とは裏腹に非常に静かに描かれる。 こんな表現は「詩人」みたいで嫌いだけど、 「雪が降り積もっていくように」ゆっくりと積み重なっていく。 着実に着実に、軍隊の規律というよりも、 合理的な「狩り」のための計画が遂行されていく...