Musicology: The Key Concepts (Routledge) から。
マルクスの著作が社会との関係の中で文化を理解することと大きく関係しているにもかかわらず、彼は芸術と文化の位置づけに関して、充分に発展させた理論はおろか、特にはコメントさえ寄せなかった。しかしながら、マルクスにとって、文化的な活動は明らかに社会の上部構造に属すものであり、それゆえ経済的な基礎に依存するものである。この依存性は文化の物質的な性質と社会の反映というその役割を示している。したがってそれは自律性という芸術作品の主張を転覆させるのである。文化的な文脈をイデオロギー的な操作として見ることもまた可能である。それによって階級にその真の歴史的・政治的な運命を見えなくする「嘘の意識」を生み出す手助けをするのだ。
マルクス主義の試みた実現は1917年のロシア革命を通じて、諸芸術を先例のない実験へと導いていったが、USSRにおけるスターリニズムの始まりにより、マルクス主義は粗雑で融通のきかないドグマへと貶められていった。マルクス主義を文化における現実的な見方に翻訳する試みはイデオロギー的な術語として社会的リアリズムというポリシーを導き出し、社会の現実と現実生活の関心を積極的に表現している作品を作ろうと取り組まなかったり、そういう作品と見なされない諸芸術家や作曲家、作家にフォルマリズムの謗りが向けられた。
いくつもの影響力を持つ思想家が、USSRマルクス主義の役所的な融通性のなさとは反対に、20世紀を通してマルクス主義に積極的に取り組み、より生産的なやり方で文化と社会とのあいだの関係に的を絞った。「西洋マルクス主義」という語は、公的なソヴィエトのポリシーやイデオロギーから独立したマルクス主義者の思想の潮流を規定するように発展していった。この観点からまず初めに、そして最も言及される思想家がジェルジ・ルカーチである。ハンガリーのマルクス主義者で、スターリニズムの衝撃を含む現実の政治的な経験がある。ルカーチは19世紀の小説やその現実の表象を研究することで社会主義リアリズムの文学理論を発展させた。しかしながら、この文学上の潮流に音楽の共通点を見出そうとするのは困難であるのに、それはモダニズムの強力な先駆者と見なされうるのである。ルカーチの最も重要な理論書は1923年に初めて出された『歴史と階級意識』(ルカーチ 1971)である。この本が呈しているのは、疎外のような問題を、人文主義化されたマルクス主義、唯物史観の中に位置づけるというものである。
ルカーチに文化を理解するための含蓄がある一方で、フランクフルト学派の人々と、特にテオドール・アドルノの著作には文化と社会との関係が、明確な焦点に置かれた。アドルノをマルクス主義者と記述するのは大いに簡単だが、マルクス主義は彼の起こした知的な文脈の大部分をも形作っている。しかしながら、アドルノは、経済的な基礎に依存する、たかが上部構造の一部にすぎないものとしての文化という観方を認めようとしなかった。むしろアドルノからしてみれば、現実世界と芸術作品とのあいだを仲介する過程が存在したのである。仲介とは、音楽の文脈で言えば、音楽的な素材に生じるものである。重大なことに、アドルノは究極的真理や超越論的瞬間を熱望した弁証法的過程というヘーゲルの観方を記述しなかった。そうではなく、彼はそのような主張を綜合する衝動に抵抗し、弁証法的思考を否定的な関係において宙吊りにされたものと見たのである。つまりテーゼとアンチテーゼは衝突の中に持ち込まれるかもしれないが、新たなジンテーゼを結果として見られる必要はないというわけだ。この否定的な弁証法は歴史的な進歩観や芸術的な革新という単純な観方を拒絶する。それはまた20世紀のある芸術的な問題と文脈、とりわけシェーンベルクの無長音楽とその初期モダニズムとの関係という緊張と強度をも把握する。
昨今のポストモダニズム理論は、モダニズムに我々がもはや付与できない「メタ物語」として作り直された中心的な主義によって、マルクス主義の関心事から大転換の兆しを示してきた。しかしながら、音楽やマルクス主義についての昨今の著作では、マルクス主義にとっても音楽の理解にとっても新しい可能性が示されている(Krims 2001; Klumpenhouwer 2001参照)。グローバル資本主義の主導的な性質がマルクス主義者批判に敏感であり続けている問題を挙げていながらも、ますます盛んになる音楽の商品化は、より大きな精査を要する。
Further reading:
Bottomore 1991
Eagleton and Milne 1996
McClellan 2000
Nelson and Grossberg 1988
Paddison 1993
MARXISM
マルクス主義というのは主にカール・マルクスとその共著者フリードリヒ・エンゲルスの著作に関するものだが、こういった著作を解釈し確固としたものにしようとするのちの試みもまた含まれる。その関心と影響の中心的な領域は経済と政治だけれども、マルクス主義には社会的・哲学的な側面もある。マルクスが強調しようと試みたのは、資本主義を検証することによって社会の経済的な基礎と、はっきりと社会的・経済的に規定された階級に抵抗・挑戦する意志である。マルクスにとって、社会とは経済的な基礎によって規定されるものだった。このことは、下層階級プロレタリアートの抑圧と搾取に基づいた社会・政治の関係を決定した。しかしながら、マルクスはこの階級を潜在的な力とみなした。それは革命的な政治的文脈の中で開放されうる。1848年のヨーロッパ中で起こった革命的な大変動はこの時期のマルクスの著作に劇的な文脈をもたらした。その年、彼の『共産党宣言』はふたつの極がひたすら負かし合ってきたという歴史観を呈した。これまで社会に存在した歴史というのはすべて階級闘争の歴史であります。自由人と奴隷、貴族と平民、君主と農奴、親方と徒弟、ひとことで言えば、抑圧する者とされる者はコンスタントに取っ替え引っ替えを繰り広げてきたのです。邪魔されずに、時に隠れ、時に公然と戦いを続けてきました。それぞれの時代を、革命による社会の大規模な再構築か、戦っている階級の共倒れかのどちらかで終わらせてきた戦いを。(マルクス=エンゲルス 1998, 34-35)この歴史観が現在におけるマルクス理解を決定づけた。それはまたヘーゲル哲学の意識や弁証法的思考のあり方にも影響を与えた。マルクスはこれらの抵抗と敵対をテーゼとアンチテーゼの瞬間として、衝突をもたらす対照的な極として見た。そして、ここから新しい革命的な瞬間が生じようとしていた。しかしながら、たいていの議論はこのような行動や出来事の不可避性の問題と密接に関係してきた。
マルクスの著作が社会との関係の中で文化を理解することと大きく関係しているにもかかわらず、彼は芸術と文化の位置づけに関して、充分に発展させた理論はおろか、特にはコメントさえ寄せなかった。しかしながら、マルクスにとって、文化的な活動は明らかに社会の上部構造に属すものであり、それゆえ経済的な基礎に依存するものである。この依存性は文化の物質的な性質と社会の反映というその役割を示している。したがってそれは自律性という芸術作品の主張を転覆させるのである。文化的な文脈をイデオロギー的な操作として見ることもまた可能である。それによって階級にその真の歴史的・政治的な運命を見えなくする「嘘の意識」を生み出す手助けをするのだ。
マルクス主義の試みた実現は1917年のロシア革命を通じて、諸芸術を先例のない実験へと導いていったが、USSRにおけるスターリニズムの始まりにより、マルクス主義は粗雑で融通のきかないドグマへと貶められていった。マルクス主義を文化における現実的な見方に翻訳する試みはイデオロギー的な術語として社会的リアリズムというポリシーを導き出し、社会の現実と現実生活の関心を積極的に表現している作品を作ろうと取り組まなかったり、そういう作品と見なされない諸芸術家や作曲家、作家にフォルマリズムの謗りが向けられた。
いくつもの影響力を持つ思想家が、USSRマルクス主義の役所的な融通性のなさとは反対に、20世紀を通してマルクス主義に積極的に取り組み、より生産的なやり方で文化と社会とのあいだの関係に的を絞った。「西洋マルクス主義」という語は、公的なソヴィエトのポリシーやイデオロギーから独立したマルクス主義者の思想の潮流を規定するように発展していった。この観点からまず初めに、そして最も言及される思想家がジェルジ・ルカーチである。ハンガリーのマルクス主義者で、スターリニズムの衝撃を含む現実の政治的な経験がある。ルカーチは19世紀の小説やその現実の表象を研究することで社会主義リアリズムの文学理論を発展させた。しかしながら、この文学上の潮流に音楽の共通点を見出そうとするのは困難であるのに、それはモダニズムの強力な先駆者と見なされうるのである。ルカーチの最も重要な理論書は1923年に初めて出された『歴史と階級意識』(ルカーチ 1971)である。この本が呈しているのは、疎外のような問題を、人文主義化されたマルクス主義、唯物史観の中に位置づけるというものである。
ルカーチに文化を理解するための含蓄がある一方で、フランクフルト学派の人々と、特にテオドール・アドルノの著作には文化と社会との関係が、明確な焦点に置かれた。アドルノをマルクス主義者と記述するのは大いに簡単だが、マルクス主義は彼の起こした知的な文脈の大部分をも形作っている。しかしながら、アドルノは、経済的な基礎に依存する、たかが上部構造の一部にすぎないものとしての文化という観方を認めようとしなかった。むしろアドルノからしてみれば、現実世界と芸術作品とのあいだを仲介する過程が存在したのである。仲介とは、音楽の文脈で言えば、音楽的な素材に生じるものである。重大なことに、アドルノは究極的真理や超越論的瞬間を熱望した弁証法的過程というヘーゲルの観方を記述しなかった。そうではなく、彼はそのような主張を綜合する衝動に抵抗し、弁証法的思考を否定的な関係において宙吊りにされたものと見たのである。つまりテーゼとアンチテーゼは衝突の中に持ち込まれるかもしれないが、新たなジンテーゼを結果として見られる必要はないというわけだ。この否定的な弁証法は歴史的な進歩観や芸術的な革新という単純な観方を拒絶する。それはまた20世紀のある芸術的な問題と文脈、とりわけシェーンベルクの無長音楽とその初期モダニズムとの関係という緊張と強度をも把握する。
昨今のポストモダニズム理論は、モダニズムに我々がもはや付与できない「メタ物語」として作り直された中心的な主義によって、マルクス主義の関心事から大転換の兆しを示してきた。しかしながら、音楽やマルクス主義についての昨今の著作では、マルクス主義にとっても音楽の理解にとっても新しい可能性が示されている(Krims 2001; Klumpenhouwer 2001参照)。グローバル資本主義の主導的な性質がマルクス主義者批判に敏感であり続けている問題を挙げていながらも、ますます盛んになる音楽の商品化は、より大きな精査を要する。
Further reading:
Bottomore 1991
Eagleton and Milne 1996
McClellan 2000
Nelson and Grossberg 1988
Paddison 1993
コメント
コメントを投稿