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4月, 2014の投稿を表示しています

呼びかけると

呼びかけると えらそうになってしまう。 平静を装うと こわばってしまう。 簡単に書こうとすると 詩のようになってしまう。 これは詩ではない。 岡田  なぜ校長先生の話はつまらないのか。 それは誰に向けても話していないからだと。 話法には三つあるそうです。 「みんなに話す」 「あなたに話す」 「空中に話す」。 校長先生はずっと空中に話してるんですね。 内田  空中ってのはおもしろいね。 岡田  ほとんど独り言なんです。 内田  でも、ぼくもほとんど空中に話してる(笑)。 話してるうちに、だんだん目線が上にいっちゃうんだよね。 ( 内田樹・岡田斗司夫『評価と贈与の経済学』 より)   「空中に話す」っていう感覚、 すごくよく分かる。 たとえば誰か特定の人のことを言っているわけじゃなくて、 一般論を述べるときの感覚。 そういうとき、ぼくはひどく饒舌になってしまう。 「何を言ってもいい」という、万能感に包まれる。 それはあまり良いものではないのかもしれない。 けど、注意が必要なのは、 口では「あなた」と二人称で呼びかけていても、 うっかり空中に話しているときがある ということだ。 まずはそれに気づくことから。

マーガレット・アトウッド『侍女の物語』

先日マーガレット・アトウッド『侍女の物語』を読み終えました。 舞台は近未来、出生率が下がったおかげで妊娠できる女性は希少な存在なんですが、それにもかかわらず「子どもを生む機械」程度の地位しか与えられてない――そういう国が突如として(地理的に言えばアメリカ大陸に)立ち上がって、国民を監視してる。この国の思想的な根拠はキリスト教です。聖書の中の子どものできない妻の代わりに侍女が代理出産をするというエピソードがあるんですが、それを根拠にして、字義通り実行しているわけです。自由の国アメリカでクーデターが起こって大統領が暗殺されて、ガチガチの宗教国家が誕生するという設定は秀逸ですね。この新国家「ギレアデ共和国」というんですが、国旗には目玉に翼の生えたシンボルマークがあしらわれていて、監視国家であることがこれでもかと言わんばかりに表現されています。女性作家の作品なのに、設定はかなり大味な感じがしますね。。。いや、女性はあんまり細かい設定とか好まないのかもしれませんね。実際、物語は主人公の一人称視点で、過去の回想を交えながらしっとりと書かれていきます。感受性や着眼点も、女性的というよりは少女的ですらある。だからといってまったく退屈しないのがこの小説のすごいところです。海外の本関連の記事を見てたらかならずと言っていいほどその書名があらわれるのも納得の内容。特に物語のラストの絶望と希望とを行き来するような、両義的な幕引きと物語の構造を明らかにする「資料」が純粋な読者にとっても、ちょっと小難しいことを考えるのが好きな批評家にとっても配慮された内容になっていて良かったです。日本では邦訳が絶版な上に、映画もDVD/BD化されていないという有り様。非常に残念なことですね。 で、いろいろネットで調べていたら、『侍女の物語』の各シーンを描いたイラストを見つけましたのでご紹介しておきます。このくすんだ色合いといい、錆びた鉄のような質感といい、小説の雰囲気がよく出てます。 Margaret Atwood’s The Handmaid’s Tale – in pictures http://onehundredpages.wordpress.com/2012/01/23/margaret-atwoods-the-h