■
コーエン兄弟の映画にはいつも驚嘆させられる。
『バーバー』のどぎついジョークの淡々とした描き方、
『ファーゴ』のグロいのになんか笑えてしまうブラックな面白さ、
『ノー・カントリー』のハビエル・バルデム演じる殺人鬼の気色悪いくらいの怪演、
『バーン・アフター・リーディング』の飛び抜けたバカっぷり・・・などなど。
とは言うものの、
デビュー作である『ブラッド・シンプル』はおろか、
アカデミー賞にノミネートされた『トゥルー・グリッド』でさえ、
まだ見られてないので、
コーエン兄弟のファンを自認できるような人間ではありません。
ただ、「コーエン兄弟」という名前がくっついてると、
「おお、コーエン兄弟かぁ。これは見てみないとなぁ」
となる程度には好きなのだ。
■
そんなもんだから、
『コーエン兄弟
×
ブラッド・ピット
映画化決定、舞台は日本!!』
なんて売り文句の本があったら、
読んでみたくなってしまうのも当然なわけです。
それが、ジェイムズ・ディッキー『白の海へ』。
■
1945年、東京大空襲のさなかに
不時着したアメリカ人兵士が、
父と暮らしたアラスカの大地を思い出しながら、
東京から北海道へとひたすらに北進していく。
その途上ではアサシン顔負けの武術を使って、
日本の一般人を次々とぶっ殺して
食料やら衣料やらを手に入れて、
北の国で暮らしていく準備を整えていく。
ただ、「暮らしていく」とは言っても、
彼が憧れている暮らしとは
テレビ見ながら呑気に暮らすというのではなく、
「フィッシャーテン」のように毎日、
その日の食料を狩って生き抜く、いわばモンハンのような生活だ。
なので、ストーリーが進むとともに装備もかなり充実してくる。
白鳥の羽を詰めた上着、熊や山羊の毛皮、
いろんな用途に使えるナイフ、北の地に住む先住民から入手した槍・・・。
こうした要素を主人公が奪っていく過程は、
その暴力性とは裏腹に非常に静かに描かれる。
こんな表現は「詩人」みたいで嫌いだけど、
「雪が降り積もっていくように」ゆっくりと積み重なっていく。
着実に着実に、軍隊の規律というよりも、
合理的な「狩り」のための計画が遂行されていく。
■
作品のラスト付近にはこんな言葉が語られる。
最後まで完遂した行動規範を一言にまとめたようで印象深い。
まさに彼はこの言葉通り、実践し行動した。
コーエン兄弟がこれを映画化したいと思ったのも頷けるような気がする。
(ちなみにこの企画、頓挫したらしいですが。。。)
■
最後に、作者のジェイムズ・ディッキーについて。
カバーにあった著者の略歴を見ると、
「詩人としても名高い純文学系の作家」とあります。
またPoetry Foundationのページには、
「包括的な歴史観とエキセントリックな詩のスタイル」で知られ、
「自らの個人史を、20世紀アメリカ史の縮図として組み込もうとする欲望」に、
その独自性がある・・・というようなことが書いてありました(たぶん)。
Wikipediaにも写真があったんですが、
もっといい笑顔のやつがあったので、
そちらを紹介しておきます。
みなさんも機会があれば、ぜひ。
コーエン兄弟の映画にはいつも驚嘆させられる。
『バーバー』のどぎついジョークの淡々とした描き方、
『ファーゴ』のグロいのになんか笑えてしまうブラックな面白さ、
『ノー・カントリー』のハビエル・バルデム演じる殺人鬼の気色悪いくらいの怪演、
『バーン・アフター・リーディング』の飛び抜けたバカっぷり・・・などなど。
とは言うものの、
デビュー作である『ブラッド・シンプル』はおろか、
アカデミー賞にノミネートされた『トゥルー・グリッド』でさえ、
まだ見られてないので、
コーエン兄弟のファンを自認できるような人間ではありません。
ただ、「コーエン兄弟」という名前がくっついてると、
「おお、コーエン兄弟かぁ。これは見てみないとなぁ」
となる程度には好きなのだ。
■
そんなもんだから、
『コーエン兄弟
×
ブラッド・ピット
映画化決定、舞台は日本!!』
なんて売り文句の本があったら、
読んでみたくなってしまうのも当然なわけです。
それが、ジェイムズ・ディッキー『白の海へ』。
■
1945年、東京大空襲のさなかに
不時着したアメリカ人兵士が、
父と暮らしたアラスカの大地を思い出しながら、
東京から北海道へとひたすらに北進していく。
その途上ではアサシン顔負けの武術を使って、
日本の一般人を次々とぶっ殺して
食料やら衣料やらを手に入れて、
北の国で暮らしていく準備を整えていく。
ただ、「暮らしていく」とは言っても、
彼が憧れている暮らしとは
テレビ見ながら呑気に暮らすというのではなく、
「フィッシャーテン」のように毎日、
その日の食料を狩って生き抜く、いわばモンハンのような生活だ。
なので、ストーリーが進むとともに装備もかなり充実してくる。
白鳥の羽を詰めた上着、熊や山羊の毛皮、
いろんな用途に使えるナイフ、北の地に住む先住民から入手した槍・・・。
こうした要素を主人公が奪っていく過程は、
その暴力性とは裏腹に非常に静かに描かれる。
こんな表現は「詩人」みたいで嫌いだけど、
「雪が降り積もっていくように」ゆっくりと積み重なっていく。
着実に着実に、軍隊の規律というよりも、
合理的な「狩り」のための計画が遂行されていく。
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作品のラスト付近にはこんな言葉が語られる。
一番深い部分にあったのは、いつもの確信だ。つまり、周囲の場所に紛れながら、何かを手に入れる。俺はその中にいる。その一部になっている。同化している。 (P.344)あたかも主人公が東京から北海道までの旅(?)の中で
最後まで完遂した行動規範を一言にまとめたようで印象深い。
まさに彼はこの言葉通り、実践し行動した。
コーエン兄弟がこれを映画化したいと思ったのも頷けるような気がする。
(ちなみにこの企画、頓挫したらしいですが。。。)
最後に、作者のジェイムズ・ディッキーについて。
カバーにあった著者の略歴を見ると、
「詩人としても名高い純文学系の作家」とあります。
またPoetry Foundationのページには、
「包括的な歴史観とエキセントリックな詩のスタイル」で知られ、
「自らの個人史を、20世紀アメリカ史の縮図として組み込もうとする欲望」に、
その独自性がある・・・というようなことが書いてありました(たぶん)。
Wikipediaにも写真があったんですが、
もっといい笑顔のやつがあったので、
そちらを紹介しておきます。
みなさんも機会があれば、ぜひ。
One Poet's Notes: James Dickey: "Sleeping Out at Easter"
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