スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2月, 2011の投稿を表示しています

【翻訳】フランシス・ベーコン《自画像》(1971)

FRANCIS BACON “Self-portrait” , 1971 oil on canvas, Paris, Center Georges Pompidou -  © Artists Rights Society (ARS), New York/VG Bild-Kunst, Bonn 晩年のインタビューの中で、アイルランドの画家フランシス・ベーコンはこんなことを打ち明けた。「ぼくは自分の作品が不穏なものだなんて、一度も考えたことはない」。おそらく彼はそう考えてなかった。しかし、事実として、ベーコンの人物造形―自画像も含め―は、ほとんど冷淡なものをもたらしてきた。最大限の解釈では、ベーコンのスタイルはこれまでの絵画の規範すべてを拒否している、美に関するものだけではなく。それはまた、彼の時代に支配的だった抽象表現主義に反対してのことだった。彼はピカソを認めて、「ピカソは形態的な絵画を生んだ第一人者だ。それは外観についてのルールをひっくり返してしまった。彼はお決まりの記号を使わずに、つまり形態の、見た目上の真実に対して敬意を表さずに、そうじゃなくて、不合理なものが持つ生命力を使った外観を示したんだ。見た目をより強く、より直接的なものにするためにね。だからその形は、脳みそを介すことなく、目から腹へと直接届くんだ(…)」〈ゴヤ的な〉何か―〈惨禍〉や〈黒い絵〉といったゴヤの作品から来てる何か―が、ベーコンの自画像にはある、他にも議論を呼ぶ絵画が彼にはたくさんあるのだけれど。たとえば教皇の肖像画とか、友人のジョージ・ダイアーについての形態的な習作であるとか。 Francis Bacon: self-portrait, 1971 http://www.theartwolf.com/self-portraits/bacon-self-portrait.htm

【翻訳】ABSOLUTE【絶対性】

Musicology: The Key Concepts (Routledge)  から。 ABSOLUTE 絶対音楽という概念は19世紀のロマン主義に台頭し、まず初めにヘルダーのような哲学者やE.T.A.ホフマンのような批評家の書物から、うまく言語化されました。しかしながら、逆説的ではありますが、リヒャルト・ヴァーグナーの書物においてそれは、音楽的・哲学的な表象に付与されたものでした。彼はこの用語を鋳造したわけです(ダールハウス 1989年a, 18)。それは純粋にそれ自体を超えた何ものも参照せずに存在しているように思われる器楽曲に関係し、しばしば標題音楽の、あるいは叙述的な内容をもつ音楽の、対立項として見られていたのである。それはしたがってウィーンの批評家エドゥアルト・ハンスリック論争において特徴的である。彼はワーグナー作品の音楽外的な側面に攻撃をしかけ、そして、純粋で絶対な音楽の理解を通じて、美的な自律性と音楽形式主義という主張を導き出したのだ。 E.T.A.ホフマンのベートーヴェンに関する書物は器楽曲の重要性を向上させ、それをロマン主義の文脈の中に位置づけた。有名なベートーヴェンの交響曲第5番(1807-8)のレビューにおいて、ホフマンは以下のことを明らかにする: 音楽が独立した芸術として語られる時この用語はもしかすると器楽曲にしか適用できないかもしれない。それはあらゆる助力を、他の芸術のあらゆる混合を、そして与えられた純粋な表現を、それ自体のもつ特定の性質のために軽視しているのだ。それは全ての芸術の中で最もロマン主義的なもの―純粋にロマン主義的な、唯一のものと言えるかもしれない―なのだ。 この「独立した芸術」という示唆は、絶対音楽の暗示によって、器楽曲を向上させ、偉大な作品という規範の形成を通じて、つまり交響曲というコンテクストによってかなり明白に定義されたプロセスを通じて、高い美的価値に帰した。 ワーグナーにとって、絶対音楽は、自身の楽劇という観点から、批判の対象だった、それは最も広範囲な音楽的かつ音楽外的な世界を包含することを求めるものだったのだ。しかしながら、ベートーヴェンの交響曲第9番(1822-4)への参照を通じて、ワーグナーは移行という、あるいは台頭という意味を提示する。第4楽章における器楽的なレチタティーヴォについて、ワーグ

【翻訳】RECORDING【録音】

なんとなく、Musicology: The Key Concepts (Routledge) の気になった項を訳してみる。 自分の勉強になると思われるから。 RECORDING  録音(recording)というのは、19世紀からずっと音楽と特別な関係を持つようになった考え方である。音を録り、再生するという電子的な手法が生まれたことは、楽譜のない(non-notated)音楽の研究や分析に重大なインパクトをもたらした。それはポピュラー音楽やジャズ(アイゼンバーグ 1988、クック 1998b参照)、民謡、そして非西洋音楽も含んでいる。  録音技術という存在は民族音楽学の成立においてさえも重要な役割を担っていた。すべての音楽を録音することは政治的・社会的・そして文化的な結果だったのだ――近頃では所有権や著作権の問題が生じてきてしまっているが(アタリ 1985、カイル&フェルト 1994、ヘズモントハルフ 2000)。録音という存在は演奏の歴史を研究する(フィリップ 1998)、学者が正当性という考え方を再評価できる(タルスキン 1995、235-61参照)、そういった可能性を生み出したのである――録音の歴史が始まったというだけではないのだ(Chanan 1995)。1940年代、50年代からは、スタジオが作曲のツールとして使われるようになった――それは新しい音楽の形式、ジャンル、そして、たとえばサンプリングのような技術を導き出すものだったのだ(Hebdige 1987、Metzer 2003参照)。特定のタイプの音楽――たとえばセリアリズムのような――は録音され、放送メディアが支え、維持した。それは聴衆の趣味に影響を与えるのに効果的な特色を持っていた(Doctor 1999)。録音は様々な種類の音楽の混合を導き出した。それは1960年代後半のポピュラーミュージックやジャズに前衛的な技法が入り込んでいったことからも確かめられるだろう。ビートルズのように、ライヴ演奏を捨てて、録音という形式を好むミュージシャンたちもいた。しかしながら、録音は多くの問題ある理論上の問題を生じさせた。そのいくつかを以下に概述しよう。  1930年代の終り、ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンとテオドール・アドルノの間に、画像と音声を再生産するのに使用されるテクノロジーというテーマに