スキップしてメイン コンテンツに移動

現代における、理想的な創作スタイルとは。


『食べて、祈って、恋をして』の作者。
エリザベス・ギルバートによるプレゼン。

お題は「創造性をはぐくむには」。
だけど、実際のところは健康的に創作活動をするのに大事なことは何か
みたいなものとして見た、ぼくは。




「精神をやまないために」っていう考え方が革新的。

作家は一度ヒット作を生み出したりしてしまうと
次の作品では、前作を超えることができるだろうかみたいな、
そんな不安を抱いてしまう。

ぼくも2年ほど前、
『美学芸術学科にらた教授の講義録』を書いて
このブログで発表したら、多くの人に読まれて、
続きを書く際には、第1講義と同じかそれ以上に面白いものを作れるだろうかと、
同様の不安を覚えた(結果としてプレッシャー負けして書けなかった)。

アマチュアでさえそうなのだから、
プロの場合なんか相当のものだろう。
想像するだにおそろしい。

彼女がプレゼンで提案するのは、
そういう精神的なストレスに打ち勝つには
どうすればいいかという実際的なアイデアだ。


そのアイデアっていうのは要するに
人間には「意味不明な気まぐれ」ってのがあって、
そいつが自分をコントロールして
小説を書かせたり、音楽を作らせたり、絵画を描かせたりさせる、
そういうものなんだという考え方。

よくアーティストの人も
「降りてくる」
という表現で言いあらわしたりする。
人によっては若干「うさんくさい」という感じさえしてしまうかもしれない。


しかし、古代ギリシャ・ローマだとそれは逆だ。
彼らは詩というものを
「ダイモン」(英語だとデーモン)によって書かされたものだと考えてた。

つまり、結果としてどんなにひどいものが出来ても、
それはダイモンが書いたものだから、俺の責任じゃない
どんなに良いものが出来たとしても、
それはダイモンのおかげで書けたのだから、俺には関係ない

そういう風に、
責任を転嫁すれば、肩の荷がおりる。
逆に言えばそうでもしないとやってられないくらい、
創作にかかるプレッシャーというのは重いということだ。


ところで、このプレゼン、
ぼくは友人のにさだこ(@nisadako)といっしょに見てたんだけど、
その際、いろいろ面白いコメントを聞くことが出来た。

たとえば村上春樹の「うなぎ理論」と呼ばれるもの。

周知のとおり、にさだこは重度の内田樹フリークで、
この話も内田樹経由で知ったようだ。

それによると、作者と読者のあいだには「うなぎ」がいると村上春樹は語る。

村上:(・・・)いや、べつにうなぎじゃなくてもいいんだけどね(笑)。たまたま僕の場合、うなぎなんです。何でもいいんだけど、うなぎが好きだから。だから僕は、自分と読者との関係にうまくうなぎを呼び込んできて、僕とうなぎと読者で、三人で膝をつき合わせて、いろいろと話し合うわけですよ。そうすると、小説というものがうまく立ち上がってくるんです。

柴田:それはあれですか、自分のことを書くのは大変だから、コロッケについて思うことを書きなさいというのと同じですか。

村上:同じです。コロッケでも、うなぎでも、牡蠣フライでも、何でもいいんですけど(笑)。コロッケも牡蠣フライも好きだし。
わかんないけど、たとえば、第三者として設定するんですよ、適当に。それは共有されたオルターエゴのようなものかもしれない。簡単に言っちゃえば。僕としては、あまり簡単に言っちゃいたくなくて、ほんとうはうなぎのままにしておきたいんだけど。

村上春樹にもダイモンがいた。
彼の場合のダイモンは「うなぎ」だけど。

自分だけが書いたんじゃない、うなぎと相談して書いたんだ・・・
そういうエクスキューズ(言い訳)を村上春樹もちゃんと持ってて、
創作に毎度毎度チャレンジしていってる
ということなのかもしれない。

・・・なんだかこういう言い方すると、
JOJOの「スタンド」みたいに見えてくるな(笑)
文学バーなんかで、
「君のダイモンはなんだい? うなぎかい? あー、春樹スタイルだねぇー」
と語り合えるような時代が来るのが楽しみである。


けど、ぼくら一般人は、
真剣に創作をしようとすればするほど、
「自分が作者」という意識から逃れられなくなってしまう。
オリジナリティの呪縛だ。

ところが、この呪縛からあっさり逃れてる人たちがいるという。
これもにさだこからの受け売りだが、
誰かと言えばそれは腐女子の方々だ。

彼女たちは、
「しっくりくる関係性」を思いついたとき、
「ネタが降ってきた」「ネタがわいてきた」
と言うらしい。
決して、自分オリジナルの素晴らしいアイデアだとは思わない。

というのも、
彼女らは心のどこかで
自分たちがやってることは
しょせん「二次創作」なのだという引け目を感じてるからで、
あくまでも素晴らしいのは
一次創作で良い素材を生み出して下さった原作者様なのだ。
その謙虚さ、「二次創作」という認識のおかげで、
彼女たちは今パワフルに
ネット上のいろんなところで活躍しているのではないだろうか。
つまり、彼女たちには、
オリジナリティの呪縛から解放された明るさがあるのだ。

それに比べて、
純文学・エンタメ小説に限らず、
文芸関係の人たちの湿っぽさといえば・・・。
これもすべてはオリジナリティの呪縛から逃れられないからだ。
もっと二次創作という観点から開き直って
創作活動を展開していく必要があるだろう。
実際、文学というのは
ホメロスから連なる一次創作者たちにリスペクトした
二次創作を行なうことなのだから。


最後に、にさだこと話してて面白かった言葉を紹介し
今回の締めとしよう。

オリジナリティを発揮するには鬱になる必要があった。
けど、良い作品を書くためにはポジティブであらねばならない
自分がやってるのはダイモンにやらされてることで、
二次創作に過ぎなくて、
ぜんぜんオリジナルなんかじゃないんですよという明るい認識。

もし、芥川龍之介がそんな感じで
ポジティブに小説を書いてたらもんのすごい長生きしてたと思う。
あの人もまた、オリジナリティの呪縛に殺されたひとりだ。

そこで、にさだこの一言。

クリエイティブであるためには、
クズじゃなければならない

けだし名言である。

コメント

このブログの人気の投稿

『各国の文芸誌の表紙に見る、日本における近代文学の〈形〉』みたいなタイトルのエッセイが書きたい。

■文芸同人誌の表紙 文芸同人誌の表紙のデザインというのは、 どれもこれもおそろしく似通ってる。 ↑こういう感じ。 ■文芸同人誌の表紙の源流 けど、そもそも、こういうデザインって、 誰が始めたんだ? と思って調べてみると、 文芸春秋 白樺 なるほど。 ここらへんっぽいな。 こういう「近代文学の黄金期」みたいなのを、 自分も追体験してみたい! っていう欲望というか、 そういう純朴なイデオロギーが、 同人文芸の表紙デザインには隠されてる気がする。 ■文芸誌の表紙の源流 けど、たぶんもしかしてひょっとすると、 この文芸誌の表紙デザインにも、 なんらかの元ネタがあるんじゃない? 調べましょう。 新フランス評論( La Nouvelle Revue Française ) ロシア思想( Русская мысль ) サザン・レヴュー( The Southern Review ) ふーん、なるほどなぁー。

【翻訳】エリフ・シャファク『イスタンブールの私生児』

エリフ・シャファク『The Bastard of Istanbul』(直訳:イスタンブールの私生児) TEDで知ったトルコの作家エリフ・シャファク。 Amazonで探したけど、 残念ながら日本語訳はまだされてないらしい。 仕方ないので英語で出ているやつを、 Kindleで無料お試し版をダウンロード。 ついでなので冒頭の部分だけちょっと和訳。 このエントリがきっかけになって、 誰かちゃんと翻訳してくれんものかしら。。。 書き出しはひたすら雨について書いてます。 雨だけでこんなに個性的に書けるのかと 感心してしまいます。 むしろこの後、 どういう風に展開していくのか気になりますね。 ■ ONE シナモン  いかなるものが天上から降ってこようとも、神にそれを呪ってはならない。そこには雨も含まれる。  たとえどんなものが降り注いできたとしても、たとえどんなに重い重い豪雨であったとしても、あるいはどんなに冷たい雹(ひょう)であったとしても、天国が用意してくれているものに対してはいかなる冒瀆(ぼうとく)も決してなされてはならない。誰もが知っている。そこにはゼリハも含まれる。  だが、7月の1周目の金曜日に、彼女はそこにいた。絶望的なほど混み合った道路の横に面した歩道を歩いていた。騎兵のように汗をかきながら、崩れたアスファルトの石に向けて――自分のハイヒールに向けて――声を荒げたところで道路の渋滞がなくなりはしないというのが都市における真理だというのに、狂ったように警笛を鳴らしまくるありとあらゆる運転手に向けて――その昔コンスタンティノープルという街を手にし、その間違いのために行き詰まりを見せたオスマン帝国に向けて――そして、そう、雨に向けて・・・このサイテーな夏の雨に向けて――次から次へと小さな声で悪態をつきながら。  雨はここでは苦行だった。世の中の別の部分で見れば、土砂降りというのはほとんどの人・物にとって間違いなく恵みとしてやってくるものだろう――穀物にとって良い、その地の動植物にとって良い、そしてロマン主義的な・余計なオマケを付けておくならば、恋人たちにとっても良いのである。もっとも、イスタンブールでは別だ。私たちにとって雨とは、必ずしも濡れてしまうということではない。汚れるということですらない。強いて言え

フィンジの伝記から、《花輪をささげよう》Let us Garlands bring に関する部分をちょっとだけ訳してみた。

 フィンジはシェイクスピアを、まるで自分が初めてそうする作曲家であるかのように位置づけている。《 花輪をささげよう》の中に は彼にとって最も思い出深い歌曲が2曲ある。あらゆる教養ある作曲家が  ' Come away, come away, death'  の言葉に対して、自分のリズムを考え出してきたことだろう。しかし、  'death'  という言葉についてジェラルド・ムーアが「気高き落下」と呼んだものによって、ふたつの小さな盛り上がりを締めくくったのは、この言葉の内面的な真理を発見したのと同じことなのであった。この歌はフィンジの不協和音の腕前がその最も核心的な点で示されている。それぞれの行の後半における引き伸ばされた解決は、悲しげに引っぱるだけでなく、参列行進のようなオープニングとのバランスを取ってもいる。そして歌手の幅の広い跳躍が緊張感を高めるのだ。この歌はフィンジの作品においては珍しく最後の  'weep'  に 12 音のすごいメリスマ〔節回し〕がある。この詩をパッと見てみると、いかにそれが起こりえたのかが分かる。第一節の、  'O, prepare it!'  という簡素な一行は行末で収まっている。ところが、第二節では同じ箇所がはみ出ている。――  'Lay me, O, where /Sad true lover...'  そこでフィンジは自分のフレーズもはみ出させている。だからその節のバランスを取るのに6小節が必要だった。バチャン島民族の曲がりくねった長いフレーズのひとつの中に、 歌のすべての悲しみを込めるのである 。  フィンジは  'Fear no more the heat o' the sun'  を 20 代で残した。この頃には、彼はミルトンのソネット集と武器よさらばのアリアを作曲している。これらを見てみると、すべてが人生の短さについてである。つまりこのムードで彼はどのようにして「金持ちも女もみんな、煙突掃除屋みたいにゴミになる」に抵抗できたのだろうか? この死はふたつの側面をもってる。元気づけられる? ――それは言う、おそれはもはやなく、日は熱く、冬の猛威、中傷、非難。しかし人生がもはや傷つけられない安堵はドスンという音、幻滅気味の「…