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5月, 2011の投稿を表示しています

【翻訳】NATIONALISM【ナショナリズム】

NATIONALISM ナショナリズムとは国民国家――それはナショナリズムという考え方に先行するわけだが――の台頭によって生じた、ひとつの意見であると定義できる。それは芸術家についてだけでなく、しばしばより決定的に言えば、歴史家、批評家、そして聴衆についての意見でもある――ちなみにナショナリティとはひとつの状況である(アームストロング、 1982  タルスキン、 2001 参照)。 国家とは、 必ずしも境界線によって定義されたものというわけではなく、政治的な地位とかある共同体の自己定義という条件を媒介していった結果である――宗教、民族性(スミス、 1986 参照)、人種、言語あるいは文化に応じて。もっとも、そこにおいては協調に関するいかなる行為も必ず排他に関する行為となるわけだが。しかしながら、ナショナリズムはまず一般的に共有されている歴史についての意味、つまり地域的・個人的な違いを乗り越える傾向のある考え方に依っている。ナショナリズムの拡散において重要なのは、主張されてきたように、 16 世紀に登場した印刷メディアの発展であり、歴史学者ベネディクト・アンダーソンが〈想像の共同体〉と呼んだものを形成する際に果たしたその役割であった(アンダーソン、 1983 )。 音楽においてナショナリズムという考え方の先例は様々な音楽様式についての意識から生じた。このことは時に、制度的なサポートの結果として現れた。たとえば 8 世紀から 9 世紀にかけてのカロリング朝の庇護の下におけるグレゴリオ聖歌のように。このような区別は時たま対抗意識という意味を導き出したのだ――たとえば 18 世紀のイタリアとフランスのオペラのような―― けれども 、そこにはまた実りあるやりとりの例があった。たとえば 14 世紀における「 イギリス風」 がフランスへ輸出されたように( Caldwell 、 1991 )。しかしながら、国民国家における文化的・政治的な価値観という意味を表す音楽様式という考え方は、歴史的に見れば比較的最近のことであり、歴史的な出来事から後続している。たとえば 1649 年のイギリス王の斬首において、音楽とナショナル・アイデンティティとの間の新しい種類の政治の直接的なつながりの前兆となった。 ナショナリズムについて研究する音楽学者の関心事のひとつに、国民様式を構築することを決定し

【翻訳】LANGUAGE【言語】

LANGUAGE 音楽というのはしばしば言語の側に関係するものであり、音楽学は書かれた言葉によって提示される。書かれたものは、たとえば作曲家の様式的・和声的な言語みたいなファクターと関係しているわけだが、しかし音楽はどういった点で言語でありうるのかということ、あるいは音楽と言語の関係性や類似点の本質とは何なのかということを、はっきりと説明するのは困難である。 音楽と言語との比較は長い歴史を持つ。音楽は、その歴史の大部分にとり、どうしても声や言葉とつながらざるを得なかった。それは演劇的・礼拝的な文脈――それが音楽の発展への枠組みを作り出したわけだが――においては、テキストというものが重視されたからだ。音楽と言語の関係にいくつかの理論的な基礎を与えられたのは、修辞学という技芸を通じてのことであった。それは古代ギリシア・ローマの修辞学に則った文学において形成されたわけだが、特に 15 世紀初めにクインティリアヌスの『弁論家の教育』が再発見されたことは、音楽的思考に重大なインパクトをもたらしたのである。修辞学はとりわけ、5つに分けられた段階――主張の創案(案出 inventio )からその表現(措辞 elocutio )まで――を踏むことによって、言葉のディスクールを本質的に体系化した。修辞学を音楽へと転写して、この関係性に基礎を置くあるいは関連づけた多くの論文が書かれることで、初期の音楽学は形成されたのである。 バロック期に、修辞学という枠組みによる音楽と言語との比較を最も明確に定義し、理論的な基礎を与えたのは、この時代の最も重要な論文のひとつであるマッテゾンの『完全なる楽長』( 1739 )である。それが提示するのは作曲についての合理的な基礎と構造的なプランだ(ハリス 1981 を参照されたし)。マッテゾンは 配列や詳細、修飾などといった 「修辞学的な」語を用いて、旋律を構造化する基礎にしている(同上 469 )。またバロックという時代には、音楽的な造形を何か音楽上の語彙のようなものにカテゴライズしようとする分類学的なアプローチを取った論文が膨大に生み出されてもいる。対照的に 19 世紀ロマン派の時代には、言語にかなり異なった評価が現れた。シューベルトやシューマン、その他の歌曲において明らかなように、テクストの使用は依然として目立っていた。オペラにおいてもふたたび音