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4月, 2013の投稿を表示しています

『光圀伝』が読み終わらない。

今日は二冊の本をカバンに忍ばせ、 街中をウロウロ。 ランス・アームストロングの自伝 『ただマイヨジョーヌのためでなく』 孔子をdisりまくる古代中国のパンクロック思想書 『荘子』 どっちもハードカバーなので、クソ重いです。 迂闊でした。 しかも、そんだけ頑張って本を持ち運んだのに、 結局タブレットを開いて、 『光圀伝』中巻を読み終えてしまう。 もはや紙の本はアクセサリーでしかないのかもしれません。 ■ 『光圀伝』は、確かに面白いし、 「物語の進め方を記した技法書」みたいにも読めて興味深いんだけど、 なんというか、作者の気合が入り過ぎてるからか、 長時間ぶっ続けで読んでられない。 これはぼくだけの問題なのかもしれないけど、 1日に読める量というのが決まってしまってるのだ。 いったんその量にまで達してしまうと、 どんなに続きが気になってても、 次の日になるまで読み進められないのだ。 魔力のゲージ回復を待つ感覚に近いかもしれない。 ゲージ回復が1日で終わらない時さえある。 そういう時は他の本を読む。 特にノンフィクションとか人文科学系の本なんかを読むと、 気分がリセットされることが多い。 そういう風にしてコンディションを整えながら、 牛歩どころではないスピードで読み進めるのが、 ぼくの『光圀伝』の読書の仕方だ。 いつ読み終わるのか検討もつかないが、 まあ年内には当ブログにて、 レビューが書けたらいいなと思ってます。

コントローラーという迷路

■ ぼくはPS2以来、 まともにゲーム機に触ってすらいない上に、 30分もプレイしないうちにゲームのスイッチを切ってしまう、 非常に根気のない「ヌルゲーマー」だ。 ゲームについて偉そうなことは何も言えない。 ただ、ゲーム内のルールに、 何かしらの「区切り」とか「制限」があることが、 そのゲームを面白くするのと同じように、 ゲーム外のインターフェイスにだって 「限界」があった方が面白いに決まってると、 かねてから考えている。 ぼくにとって、スマホとかタブレットの、 タッチスクリーンを使用したゲーム操作というのは、 うんざりさせるだけのものに過ぎない。 「自由さ」とか「入力情報の多さ」からやって来る、 あんなシビアな当たり判定なんか必要ないのだ。 ■ なるほどたしかに、 そうしたものをうまく利用したアプリゲームはある。 しかし、それにもかかわらず、 シビアな当たり判定が突きつけてくるのは、 「ヘタなお前が悪い」という現実だ。 ゲームはプレイヤーに成長を強要する。 違う、そうじゃない。 欲しいのは正しさであり、確かさであり、 コントローラーを持つ手元に対する信頼である。 ■ だからぼくはスマホのタッチスクリーンという、 あのどこまでもフラットなコントローラーに、 少なからぬ違和感を抱くのだ。 むしろ従来のゲーム機のコントローラーみたいに、 丸いボタンや十字キーでデコボコになった迷路を、 親指で彷徨ったり、もたれかかったり、 あるいは、したたか指をぶつけたりしたい。 そのようにしてぼくは、 身を任せたいのだ、デコボコの障害物に。 それによって自分の指の位置を知ることのできる、 正確さと頑迷さの象徴であるようなプラスチックの突起物に。 x

disの最新作『The Odyssey of Iska』について

この度クロアチアのゲーム開発会社dis(Dalmatia Interactive Studio)から、新作『The Odyssey of Iska』(以下OI)が発表された。 前回はビールの投げ合い戦争ゲームを公開して、地味ながらも多少注目されたらしい。この会社から出てる他のゲームに比べて、そこそこのダウンロード数だった。まあ、あくまで「そこそこ」だったけど。 今回プレイしてみて、いくつか思ったことがあったので、以下、そのことについてつらつらと書いていく。 スクショも載せようかと思ったが、面倒なのでやめた。申し訳ない。 ■スマホのゲームは好きじゃない さて、さっそく私事で申し訳ないけど、ぼくはスマホでゲームをするというのがあまり好きではない。理由はふたつある。 ひとつはタッチパネルの特性上、反応や判定の厳しいものが多くて、すぐ死んでしまうからだ。敵を一方的にボコボコにできないと、非常にストレスが溜まってすぐイヤになってしまうタイプの、ゲーマーの風上にも置けないぼくにとってこれは大きなウェイトを占める問題といえる。 もうひとつの理由は、細かな場面でセーブができないということ。だいたいスマホのゲームは、ひとつのステージをクリアする毎に自動的にセーブされるというものが多い(気がする。実際はどうか知らない) しかし、だ。ちょっと操作をミスって、 「あ、しまった」 と思った瞬間にはもう死んでしまったり詰んで先へ進めなくなったりして、また一からやり直し・・・というのを繰り返してると、もう、どうにもやる気がなくなってしまう。我ながらゲーマーの風上にも置けないとおもう。 以上のふたつの悪条件を満たすスマホゲームで代表格といえば「Angry Bird」だろう。指先ひとつで微妙な角度がつけられ、その精度如何によってゲームの進行そのものが左右される。そして、少しでも手元が狂えば、また最初からやり直し。いい感じに進んでいった途中で、セーブをしておくということさえできれば、その最高の状態から何度でもやり直すことができるのに、このゲームにそんな細やかさはない。もし自動セーブにするなら、 幼稚園児でもクリアできるくらい簡単にするべきだと、ぼくは思うわけである。(本気で言ってるわけじゃないですよ) ■ありきたりなゲームだけど、なんか変。 そんなぼくが、どういうわけか、『OI』に目を止め、ダウンロー

『各国の文芸誌の表紙に見る、日本における近代文学の〈形〉』みたいなタイトルのエッセイが書きたい。

■文芸同人誌の表紙 文芸同人誌の表紙のデザインというのは、 どれもこれもおそろしく似通ってる。 ↑こういう感じ。 ■文芸同人誌の表紙の源流 けど、そもそも、こういうデザインって、 誰が始めたんだ? と思って調べてみると、 文芸春秋 白樺 なるほど。 ここらへんっぽいな。 こういう「近代文学の黄金期」みたいなのを、 自分も追体験してみたい! っていう欲望というか、 そういう純朴なイデオロギーが、 同人文芸の表紙デザインには隠されてる気がする。 ■文芸誌の表紙の源流 けど、たぶんもしかしてひょっとすると、 この文芸誌の表紙デザインにも、 なんらかの元ネタがあるんじゃない? 調べましょう。 新フランス評論( La Nouvelle Revue Française ) ロシア思想( Русская мысль ) サザン・レヴュー( The Southern Review ) ふーん、なるほどなぁー。

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』感想

村上春樹の新刊で、 発売前からタイトルが長い!と話題になってました、 『 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 』 先ほど読み終えましたので、 さっそく感想を書いておきます。 あらすじを書くとネタバレ!と怒られそうなので、 読む気ないしどんな話なのか気になるという人は、 自分で調べて他のサイトを回って下さいな。 ■村上春樹が書きたかった小説? ひとことで申し上げますと、面白く読めました。 ぼくはハルキストでもなんでもないので、 すべての作品を読んだわけではありませんが、 正直、今まで読んだ村上春樹の中で、 いちばん読みやすい作品だったかもしれません。 『1Q84』では過剰すぎてワケが分からんことになってたエンタメ性と文学性が、 今作では、かなりきれいな形で調和してます。 (ちなみにここで言う「エンタメ性」はお芝居を見る時のような楽しみ、「文学性」は読者に対する心のケアという程度の意味だと思って下さい) 作中で音楽の話題が多かったので (なにせ『巡礼の年』ですからね!) 、 それになぞらえて言いますと、 ちょうど若い頃は音楽のルールを破りまくってたモーツァルトが、 晩年にバッハの古典的な形式を踏襲したような、 そういうところが村上春樹にもあるような気がします。 (別に村上春樹を「文学におけるモーツァルトやでえ!」とは思いませんが。。。) 村上春樹はおそらく「こういう小説」が書きたくて、 今まで頑張ってきたんだろうなという感じさえしました。 そういう意味で、ひとつの集大成なのかもしれません。 ■「猥褻」表現は相変わらず健在 まあ、この小説に対する非常に無難なコピーを考えると、 「面白くって、しかも心にジーンと沁みる小説」 ってことになると思います。 ただ、そこはやっぱりさすが「ハルキ・ムラカミ」というか、 一筋縄ではいきません。 たとえば、そう、 夢精 ですね。 あまり具体的に書くとネタバレ!って怒られそうなので、 ふわふわっと書きますが、 村上春樹ではもはや恒例となってます、 夢の中で女の子となんだかよく分からないままにセックスして、 起きたらパンツの中に射精してる

ウィキペディアで世界のベストセラー小説の一覧を見てみる。

■ ディケンズ『二都物語』 ⇒2億部で堂々の1位。 トールキン『指輪物語』 ⇒1億5000万部。 ダン・ブラウン『ダ・ビンチ・コード』 ⇒5000万部。 村上春樹『ノルウェイの森』 太宰治『人間失格』 ⇒1200万部で同着。 ■ ここから分かるのは、 1000万部売れる小説を書くだけでも、 「世界の○○」という名声を手に入れるには十分ということだ もちろんお気付きだとは思うが、 それはつまり、 「超絶イケメンになれば毎日違う女の子とデートできる」 という寝言と変わるところはない。 今日のエントリはこれが言いたいがために書いた。 参考: ベストセラー本の一覧 - Wikipedia  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

こころで会話する。

(´-`).。oO( ぼくはもう恥ずかしくて恥ずかしくて死にたい  なんかあったの? )Oo。.(゜-゜) (´-`).。oO( いやさ、突如として、ぼくに親切にしてくれる人に対して申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになってきてね ああ、そう )Oo。.(゜-゜) (´-`).。oO( つらい・・・ まあ、元気出しなよ )Oo。.(゜-゜) (´-`).。oO( そうは言ってもさ・・・ 楽しく生きなきゃ。君に親切にしてくれる人に申し訳が立たないよ  )Oo。.(゜-゜) (´-`).。oO( そうだね。まったくその通りだ 出た? 元気 )Oo。.(゜-゜) (´-`).。oO( うん。出た じゃあ、300円でいいよ )Oo。.(゜-゜) (´-`).。oO( キサマ・・・

トルコの女性作家、エリフ・シャファクのスピーチ。

Elif Şafak (1971 - ) TEDで『フィクションの利害関係 The Politics of Fiction』というスピーチをしていた トルコの小説家、エリフ・シャファク。 非常に興味深いスピーチです。