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ネットの言葉について考えていること。

あけましておめでとうございます。 すっかりブログの更新を怠っていたら、 2013年が終わっていました。 3が日は酒を飲み続け、映画を見る日々でしたが まあなにはともあれ年が明けたことだし、 とりあえずひとつ今の心境について書き残しておこうかと、 こういうわけで今日ブラウザを開きました。 ■ ブログの更新を怠っていた、とは言いましたが、 実を言うと記事そのものは毎日のように書きためていたんです。 Bloggerの「下書き」フォルダや Googleキープのメモがどんどん溜まっていって、 けど、そのほとんどを発表しなかった。 大学生の頃の自分であれば、 「完成度が低いから公開したくなかった」なんて 生意気なことを言ってたでしょうが さすがに社会人になってまで そんなことを口にするのは恥ずかしい。 じゃあなぜ発表しなかったのか? 自分の「言葉」の見方が変わったからと (また生意気な言い方かもしれませんが) そういう風に言えるかもしれません。 ■ ネットという開放された場所において あえて閉鎖的な空間を作る意義というのが これまでぼくにはいまいち理解できませんでした。 2ちゃんねるやmixiが嫌いだったのも、 そこで流通する言葉がネット全体に普及するものではなく あくまでもその場所においてしか効果を発揮しない、 すごく狭い言葉のように思われたからです。 「わたし、かわいくないから・・・」 と言う女子の大半は、相手から 「そんなことないよ!(かわいいよ!)」 と言われるのを待ってるものですが、 ちょうどそれと同じような気持ち悪さを、 閉鎖的なネット空間から感じていたような気がします。 逆に自分がネットで言葉を発する時は、 そうではない言葉で語りたいと心に決めていました。 他人のリアクションを前提にしない、 気持ち悪くない言葉。 それを追究していたのが、 ぼくの10代後半から20代前半期ということになります。 けど、それはネットというのがまだ 仕切りの少ない、無法地帯だったからこそ 喧伝できたことだったんです。 今やさまざまなサービスが乱立し、 ネットの至るところに、簡単に、 自分のスペースをつくれるようになりました。 その場所に応じて演じ分けられる自分のキャラも