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7月, 2013の投稿を表示しています

ドイツの女性ブランド ベアーテ・ハイマン

今日知ったドイツの女性ブランド BEATE-HEYMANN STREETCOUTURE ( ベアーテ・ハイマン  ストリートクチュール) 異なる生地を組み合わせて 新鮮なデザインの生み出してるとのこと。 見てて面白いです。 金魚みたい。 こういうお菓子ありそう。 足細いなぁ~。 首もとのもこもこ感。 こういうグリーンってあまり見ないなぁ。 ベルトがカッコいい。 あと襟の形がセクシー。 ちょっと中央アジアの民族衣装っぽい。 急にこんな鮮烈な色が飛び出してきたら びっくりしちゃう。 すごいきれい。 画像が縦長なのは気のせいです。 参照: BEATE-HEYMANN STREETCOUTURE 公式サイト Heymann Moden ( http://www.beate-heymann.de/ )

〈飼いならされた感性〉を殺すために。

〈飼いならされた感性〉について。 〈飼いならされた〉という言葉は魅力的です。 この修飾語によって 「誰かにコントロールされている」 というニュアンスが出て、 〈自分が好きなもの〉だけを良しとする価値観に 一石を投じられるからです。 ただ、難点もあります。 すなわち、その背後に、 「野生バンザイ!」 という響きを感じてしまうことです。 「作られてない」「ありのまま」 「ナチュラル」「飾らない」 そういうCMのキャッチコピーから作られる、 「エセ自然主義」的な価値観に転化してしまう。 けど、それとは違う気がするんですね。 何が違うのか。 それは日常生活の中で育まれるものです。 つまり、生活によって「作られる」のです。 だから、少しでも日常から離れたと感じてしまうと、 その感性は、不安に駆られてしまう。 たとえば、 ツイッターでリプライを期待してツイートしたのに、 誰も反応してくれない、ふぁぼってもくれない。 そういうときに感じる孤独感は、 〈飼いならされた感性〉が満たされないからです。 そういう風に考えて下さったら結構です。 その他の事例については あとの文章の中で話します。 その事例を見ると一見、 ツイッターのこととはぜんぜん違うように見えるかもしれませんが、 根っこは同じだとぼくは考えています。 そして問題は、 この感性が創作にモロに影響すると、 すっごくつまらないものになっちゃうよね、ということ。 というか、 〈飼いならされた感性〉と〈創造性〉って、 正反対のものだよね、という話をしたいと思ってます。 ぼくは小説を書いたりするので、 そういう立場を前提にしてしまうのですが、 なるべく、他の立場の人にも通ずるような話し方を 以下、心掛けていきたい。がんばります。 形式について。 ぼくは作曲家の矢代秋雄が言ってたみたいに、 表現に先立って感覚を表現する 形式 というのが まずは存在していると考えてます。 というか、存在していてほしい。 でないと、この世から 美しいものを作り出す楽しみがなくなってしまう。 もちろん自然な美しさというものは確かに存在します。 何も手を加えてないのにきれいなもの、確かにあります。 穏やかな水平線、早朝の

アマンダ・パーマー「"お願い"をするということ」

以前、自分の考えをまとめるために、 「 今後の著作物のあり方について、自分なりに考えてみる 」 というエントリをごちゃごちゃ書いてみたけど、 こんなものを読んでもらうより、 もっと伝わる、感動的な内容のTEDのプレゼンを発見した。 アマンダ・パーマー 「"お願い"するということ」 レコード会社に頼らず、 自分だけで音楽活動をするために、 クラウド・ファンディングを通して、 なんと119万ドル(約1億円)もの資金を集めた スーパー・ウーマン、アマンダ・パーマー。 「どうやってお金を出させたんだい?」 と音楽関係者が尋ねると、 アマンダはこう答えた。 「 出させたんじゃない、お願いしたの 」 ( I didn’t make them, I asked them. ) そして、プレゼンの趣旨ももちろんなのだが、 彼女のファンとの交流も紹介されていて面白い。 襲われるのではないかという危険も顧みず、 ファンの家を泊まり歩いたり、 服を脱いで、体にらくがきさせたり、 とにかく過激で、素直で、まっすぐだ。 批判も多いらしいが、 こういう人間こそが今後活躍していってほしい。 音楽だけでなく、他の分野でも。