スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

本を読むことが大好きであり、大嫌いでもある。

本を読むことが好きか嫌いかと言えば、大好きでもあり大嫌いでもある、というのが本心かもしれない。本屋に出かけると面白そうな本が膨大にあって、どう考えてもこれらを全部読むことはできなさそうだし、また仮に読んでしまったら人の作品を読むことだけに一生を費やして、アウトプットの時間は永遠に持てない絶望に見舞われるからだ。だから、私はこうすることにした。一生のうちにできるだけ多くの本を読めるよう務めるけれども、数ではなく1冊の本をどれだけ丁寧に深く読み込むかに重点を置く。                                   『素粒子』-ミシェル・ウエルベック読了記: Où est mon chat? 本を読むことが大好きであり、大嫌いでもある、という感覚、すごくわかる。 本屋に出かけると面白そうな本が膨大にあって、 どう考えてもこれらを全部読むことはできなさそうだし、 また仮に読んでしまったら 人の作品を読むことだけに一生を費やして、 アウトプットの時間は永遠に持てない絶望に見舞われるからだ。

ネットの言葉について考えていること。

あけましておめでとうございます。 すっかりブログの更新を怠っていたら、 2013年が終わっていました。 3が日は酒を飲み続け、映画を見る日々でしたが まあなにはともあれ年が明けたことだし、 とりあえずひとつ今の心境について書き残しておこうかと、 こういうわけで今日ブラウザを開きました。 ■ ブログの更新を怠っていた、とは言いましたが、 実を言うと記事そのものは毎日のように書きためていたんです。 Bloggerの「下書き」フォルダや Googleキープのメモがどんどん溜まっていって、 けど、そのほとんどを発表しなかった。 大学生の頃の自分であれば、 「完成度が低いから公開したくなかった」なんて 生意気なことを言ってたでしょうが さすがに社会人になってまで そんなことを口にするのは恥ずかしい。 じゃあなぜ発表しなかったのか? 自分の「言葉」の見方が変わったからと (また生意気な言い方かもしれませんが) そういう風に言えるかもしれません。 ■ ネットという開放された場所において あえて閉鎖的な空間を作る意義というのが これまでぼくにはいまいち理解できませんでした。 2ちゃんねるやmixiが嫌いだったのも、 そこで流通する言葉がネット全体に普及するものではなく あくまでもその場所においてしか効果を発揮しない、 すごく狭い言葉のように思われたからです。 「わたし、かわいくないから・・・」 と言う女子の大半は、相手から 「そんなことないよ!(かわいいよ!)」 と言われるのを待ってるものですが、 ちょうどそれと同じような気持ち悪さを、 閉鎖的なネット空間から感じていたような気がします。 逆に自分がネットで言葉を発する時は、 そうではない言葉で語りたいと心に決めていました。 他人のリアクションを前提にしない、 気持ち悪くない言葉。 それを追究していたのが、 ぼくの10代後半から20代前半期ということになります。 けど、それはネットというのがまだ 仕切りの少ない、無法地帯だったからこそ 喧伝できたことだったんです。 今やさまざまなサービスが乱立し、 ネットの至るところに、簡単に、 自分のスペースをつくれるようになりました。 その場所に応じて演じ分けられる自分のキャラも ...

村上春樹の、質問に対する答え。

Q. 村上さんはマラソンにある創造性とは何だとお考えでしょうか? (20代・男性) A. 創造性はないよね。ただの反復だから(笑)。 でも音楽だって楽器の練習は反復じゃないですか。反復しなければ何もできない。 反復自体には創造性はないけれど、反復によって創造性の土壌ができるんだと思います。 (村上 春樹) ----------------------------------- 反復がないと、そもそも創造性そのものが生まれない、 という考え方。 何度も何度も繰り返していって、 自分の身体に染みこんでいった時に、 初めて、それ以上の、誰も見たことのない、 刺激的なものが姿を現す。 そのことを理解してると、 作品を見る時の、ものの見方が変わると思う。 美術にせよ、音楽にせよ、文学にせよ。

読みたい物語。

■ 物語を作るには最低3つのシーンが必要だ。 始まりとエピソードと終わりの3つ。 下手をすれば始まりと終わりのシーンさえあれば それらしい形になってしまう。 極端なことを言えば、すごく面白い始まりのシーンと、 すごく面白い終わりのシーンがあれば、 それなりに面白いものができてしまう。 これが物語を書く不思議でもあり、楽しいところでもある。 ■ しかしこれだと、とても短いものしか書けない。 そこで、始まりと終わりの間にエピソードを挟んでいく。 当然、エピソードの数を増やせば、物語は自ずと長くなっていく。 たとえば本1冊分の小説を書くとなると、 いったい、いくつのエピソードが必要になるだろう? ひとつのエピソードに2〜3ページを費やしたとすると、 90〜100くらいのエピソードが必要かもしれない。 ■ 小説を書く人であれば、 お風呂に入ってて突然 「ひらめいた!」 と小説のアイデアがひとつ浮かんできたなんて、 そんな経験があるかもしれない。 これはすごいとか、今後とも大事にあたためておきたいアイデアだとか、 自分の気に入ったアイデアに対する思い入れというのは、 往々にして強くなるものだ。 それを大切に、小説の形にしていく。 しかし、本当に面白くって内容のある小説には、 そういう「ひらめいた!」レベルのエピソードが、 つまり作者がずっと大事にあたためてきた、熱い思い入れのあるアイデアが、 何十も、何百もページの中に満ちている。 もちろん、そういう本はすごくすごくすごく、すごく珍しい。 ■ ぼく個人としては、 無理をしてまで珍しい本を書こうとする必要はないと思う。 というのも、それをしようとすると、 たいていはひとつかふたつのそれなりに良いアイデアに、 適当な始まりやいい加減な終わりがくっつけられて、 まるで生物実験から生まれたキメラみたいにいびつになるのが関の山だからだ。 自分の作品に対する愛も、思い入れも、そこには感じられない。 そんなものは読んでて楽しくない。 始まりと、エピソードと、終わりのシーン。 これだけで十分だ。 それが読みたい。 x

フォークナーのお気に入りカクテル。

ノーベル賞作家フォークナーは 「トディー」というカクテルがお気に入りだったらしい。 レシピは以下のとおり。     バーボン(ホワイトウイスキーでも可)・・・・・・・・・60ml     水(お湯でも可)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・120ml     レモンスライス1枚(あたたかいのを作る場合は半片)とレモン汁+皮付き     砂糖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1さじ ところで、フォークナーといえば『野生の棕櫚』、 と言ってもぜんぜん共感してもらえないんですが、 ぼくがフォークナーの中でもお気に入りのフレーズはこちら。 「雪明りの最後の光も消え、いまはなにかエイゼンシュタインがダンテを映画にしたような光景へ入っていった」 (フォークナー『野生の棕櫚』より) この「エイゼンシュタインがダンテを映画にしたような」って形容の仕方、 絶妙すぎませんか? すんません、それだけです。 Paris Review - Faulkner’s Cocktail of Choice http://www.theparisreview.org/blog/2013/10/23/faulkners-cocktail-of-choice/

本を読むスピードについて。

■ 「図書館女子」という言葉をご存知でしょうか。 中学・高校時代、クラスの中では静かでおとなしい感じで、 たいてい小柄で、黒髪で、メガネをかけてて、 毎日のように図書室や図書館へ行って、 自分の好きな作家の新刊をチェックし、 昼休みはもっぱら図書館のバーコードのついた単行本を開いている、 そういう類(たぐい)の女の子がひとりはいたと思うんです。 (これの男子バージョンを「図書館男子」とか「文学少年」なんて呼んでも構わないでしょう) とにかく「子どもの頃から本が好き」というタイプには、 こういう子が多いようにぼくは思うわけです。 実際、「図書館女子」に分類されるような女の子に萌える男もいると聞きます。 どうやら結構人気のジャンルのようです。 しかし、 ぼくは 「文学少年/図書館女子って可哀想だな」 と常々思っていて、 かつ、これまでその理由をうまく説明できずにいました。 そこへ来て、先日ふと浮かんだのが次のツイート。 文学少年/図書館女子の弱点って、手に入れた本は3日以内(遅くとも一週間以内)に読み終えなければならないという強迫観念に駆られてることだと思う。 個人的には、10年後、あるいは死ぬまでに読み終えたらいいやっていう感覚で楽しむ読書もなかなか乙なもんだと思うんだけどなぁ。 — にらた (@pr_nirata) October 30, 2013 そうなのだ、彼/彼女たちが不幸に見えるのは、 手に入れた本は3日以内(遅くとも一週間以内)に読み終えなければならない という強迫観念に駆られてるみたいだから、なのだ。 彼らにとって読書というのは、 一冊の本を、 最初から最後まで、どれくらいのスピードで読めるかという、 タイムアタックみたいになってしまってる。 けど、本当に読書ってそういうものなのでしょうか? 今日お話したいのはそのことについてです。 ■ 本というものがほかのメディアに異なる点は いろいろあるんだけど、 そのひとつとして「時間の伸縮性」というポイントがあると思います。 たとえば映画や音楽というのは、 見たり聞いたりしていれば、勝手に時間が進んでいく。 だから寝てたり聞き逃したりすると 「あれ? いつの間に終わってたの?」...

ドイツの女性ブランド ベアーテ・ハイマン

今日知ったドイツの女性ブランド BEATE-HEYMANN STREETCOUTURE ( ベアーテ・ハイマン  ストリートクチュール) 異なる生地を組み合わせて 新鮮なデザインの生み出してるとのこと。 見てて面白いです。 金魚みたい。 こういうお菓子ありそう。 足細いなぁ~。 首もとのもこもこ感。 こういうグリーンってあまり見ないなぁ。 ベルトがカッコいい。 あと襟の形がセクシー。 ちょっと中央アジアの民族衣装っぽい。 急にこんな鮮烈な色が飛び出してきたら びっくりしちゃう。 すごいきれい。 画像が縦長なのは気のせいです。 参照: BEATE-HEYMANN STREETCOUTURE 公式サイト Heymann Moden ( http://www.beate-heymann.de/ )