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コントローラーという迷路


ぼくはPS2以来、
まともにゲーム機に触ってすらいない上に、
30分もプレイしないうちにゲームのスイッチを切ってしまう、
非常に根気のない「ヌルゲーマー」だ。
ゲームについて偉そうなことは何も言えない。
ただ、ゲーム内のルールに、
何かしらの「区切り」とか「制限」があることが、
そのゲームを面白くするのと同じように、
ゲーム外のインターフェイスにだって
「限界」があった方が面白いに決まってると、
かねてから考えている。
ぼくにとって、スマホとかタブレットの、
タッチスクリーンを使用したゲーム操作というのは、
うんざりさせるだけのものに過ぎない。
「自由さ」とか「入力情報の多さ」からやって来る、
あんなシビアな当たり判定なんか必要ないのだ。

なるほどたしかに、
そうしたものをうまく利用したアプリゲームはある。
しかし、それにもかかわらず、
シビアな当たり判定が突きつけてくるのは、
「ヘタなお前が悪い」という現実だ。
ゲームはプレイヤーに成長を強要する。
違う、そうじゃない。
欲しいのは正しさであり、確かさであり、
コントローラーを持つ手元に対する信頼である。

だからぼくはスマホのタッチスクリーンという、
あのどこまでもフラットなコントローラーに、
少なからぬ違和感を抱くのだ。
むしろ従来のゲーム機のコントローラーみたいに、
丸いボタンや十字キーでデコボコになった迷路を、
親指で彷徨ったり、もたれかかったり、
あるいは、したたか指をぶつけたりしたい。
そのようにしてぼくは、
身を任せたいのだ、デコボコの障害物に。
それによって自分の指の位置を知ることのできる、
正確さと頑迷さの象徴であるようなプラスチックの突起物に。

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