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サリンジャー(村上春樹訳)『フラニーとズーイ』を読んだ。

今まで読んできた本の中でも
3本の指に入るくらい、面白い小説に出会えた。


サリンジャー(村上春樹訳)『フラニーとズーイ』

「フラニー」と「ズーイ」という2つの中編小説が入ってる。
実は野崎訳で一回読んでたんだけど、そこまで面白いという記憶はなかった。
村上春樹訳で読むとなぜここまで面白いのか、まったく分からない。

とりあえず、
どちらもグラス家っていう天才ばっかりの一家の物語なんだけど、
「フラニー」の方は、この天才7人兄弟のいちばん下の女の子で、
天才的なお兄ちゃんたちに幼い頃から
『ウパニシャッド』とか、エックハルトの説教書とか
『金剛般若経』なんかをテキストに英才教育を受けたもんだから、
名門私立大学に通う彼氏の文学談義なんかが低俗すぎて
吐き気を催したりしてしまって、そんな自分に自己嫌悪して、
宗教書にハマってるっていうお話。

「ズーイ」はその話の続き。
満身創痍で家に帰って、ゴロゴロしてるフラニー。
お兄ちゃんのズーイは、
自分の殻に閉じこもってないで出てこいよ!的な感じで(母親に頼まれて、だけど)、
あの手この手を使ってフラニーを救い出そうとする。
この救出の仕方がほんとに感動的。

そんな感じの、まさにニューエイジ思想の機運に満ちた中編が2篇入った
お得な文庫本with村上春樹(630円+税)。

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