スキップしてメイン コンテンツに移動

歯車と松の実、ピニョンの語源

ピニョン(pignon)という単語がある。

フランス語で「歯車」を意味する。

ただ、この言葉、なぜか「歯車」の他に
「松の実」という意味まで持ってる。

歯車はピニョン。
松の実もピニョン。

なんだこれと思って語源を調べた。

すぐ分かった。

ピニョンの語源は、
ラテン語のペンナ(penna)というところにあるらしい。

そしてペンナというのは英語の「フェザー」、
つまり「羽根」のことだ。

・・・歯車とも松の実とも関係ないじゃないか。

と思ってさらに調べると、
このペンナ、「羽根」の他に、
羽根をむしる、身動きを取れなくする
という意味もあることがわかった。

「ちょっと奥さん!
あんたんとこのニワトリ、
ちゃんとペンナしとかないと飛んでっちゃうよ!」

「あらあらごめんなさい!今度から気を付けるわね!」

羽をむしって身動きを取れなくする
というイメージは、
ギチギチと一定の動きをすることしか許されてない
歯車のイメージと重なるものがある。
ここからペンナ、ひいてはピニョンに
歯車という意味が付与されたのではないか。

同時に羽根をむしった鳥の姿って、
松の実の形と似てるんじゃないか?
そういうところからピニョンというフランス語は
松の実という意味も手に入れたのではないか。

ちなみに、
ペンという言葉の語源も、
ラテン語のペンナから来てる。
だって、昔のヨーロッパのペンって羽根がついてるもんね。

さらにパスタのペンネ。
あれもペンの先みたいな形をしてるから、
そう呼ばれてる。

こういう風にあれこれ考えてみると、
ピニョンという言葉から、
歯車、松の実、ペンナ、ペン、ペンネという、
まったく関係のないように思われる語たちが
相互に関連付けられていく。
なかなか、面白くないですか?

コメント

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

『各国の文芸誌の表紙に見る、日本における近代文学の〈形〉』みたいなタイトルのエッセイが書きたい。

■文芸同人誌の表紙 文芸同人誌の表紙のデザインというのは、 どれもこれもおそろしく似通ってる。 ↑こういう感じ。 ■文芸同人誌の表紙の源流 けど、そもそも、こういうデザインって、 誰が始めたんだ? と思って調べてみると、 文芸春秋 白樺 なるほど。 ここらへんっぽいな。 こういう「近代文学の黄金期」みたいなのを、 自分も追体験してみたい! っていう欲望というか、 そういう純朴なイデオロギーが、 同人文芸の表紙デザインには隠されてる気がする。 ■文芸誌の表紙の源流 けど、たぶんもしかしてひょっとすると、 この文芸誌の表紙デザインにも、 なんらかの元ネタがあるんじゃない? 調べましょう。 新フランス評論( La Nouvelle Revue Française ) ロシア思想( Русская мысль ) サザン・レヴュー( The Southern Review ) ふーん、なるほどなぁー。

【翻訳】エリフ・シャファク『イスタンブールの私生児』

エリフ・シャファク『The Bastard of Istanbul』(直訳:イスタンブールの私生児) TEDで知ったトルコの作家エリフ・シャファク。 Amazonで探したけど、 残念ながら日本語訳はまだされてないらしい。 仕方ないので英語で出ているやつを、 Kindleで無料お試し版をダウンロード。 ついでなので冒頭の部分だけちょっと和訳。 このエントリがきっかけになって、 誰かちゃんと翻訳してくれんものかしら。。。 書き出しはひたすら雨について書いてます。 雨だけでこんなに個性的に書けるのかと 感心してしまいます。 むしろこの後、 どういう風に展開していくのか気になりますね。 ■ ONE シナモン  いかなるものが天上から降ってこようとも、神にそれを呪ってはならない。そこには雨も含まれる。  たとえどんなものが降り注いできたとしても、たとえどんなに重い重い豪雨であったとしても、あるいはどんなに冷たい雹(ひょう)であったとしても、天国が用意してくれているものに対してはいかなる冒瀆(ぼうとく)も決してなされてはならない。誰もが知っている。そこにはゼリハも含まれる。  だが、7月の1周目の金曜日に、彼女はそこにいた。絶望的なほど混み合った道路の横に面した歩道を歩いていた。騎兵のように汗をかきながら、崩れたアスファルトの石に向けて――自分のハイヒールに向けて――声を荒げたところで道路の渋滞がなくなりはしないというのが都市における真理だというのに、狂ったように警笛を鳴らしまくるありとあらゆる運転手に向けて――その昔コンスタンティノープルという街を手にし、その間違いのために行き詰まりを見せたオスマン帝国に向けて――そして、そう、雨に向けて・・・このサイテーな夏の雨に向けて――次から次へと小さな声で悪態をつきながら。  雨はここでは苦行だった。世の中の別の部分で見れば、土砂降りというのはほとんどの人・物にとって間違いなく恵みとしてやってくるものだろう――穀物にとって良い、その地の動植物にとって良い、そしてロマン主義的な・余計なオマケを付けておくならば、恋人たちにとっても良いのである。もっとも、イスタンブールでは別だ。私たちにとって雨とは、必ずしも濡れてしまうということではない。汚れるということですらない。強いて言え

フィンジの伝記から、《花輪をささげよう》Let us Garlands bring に関する部分をちょっとだけ訳してみた。

 フィンジはシェイクスピアを、まるで自分が初めてそうする作曲家であるかのように位置づけている。《 花輪をささげよう》の中に は彼にとって最も思い出深い歌曲が2曲ある。あらゆる教養ある作曲家が  ' Come away, come away, death'  の言葉に対して、自分のリズムを考え出してきたことだろう。しかし、  'death'  という言葉についてジェラルド・ムーアが「気高き落下」と呼んだものによって、ふたつの小さな盛り上がりを締めくくったのは、この言葉の内面的な真理を発見したのと同じことなのであった。この歌はフィンジの不協和音の腕前がその最も核心的な点で示されている。それぞれの行の後半における引き伸ばされた解決は、悲しげに引っぱるだけでなく、参列行進のようなオープニングとのバランスを取ってもいる。そして歌手の幅の広い跳躍が緊張感を高めるのだ。この歌はフィンジの作品においては珍しく最後の  'weep'  に 12 音のすごいメリスマ〔節回し〕がある。この詩をパッと見てみると、いかにそれが起こりえたのかが分かる。第一節の、  'O, prepare it!'  という簡素な一行は行末で収まっている。ところが、第二節では同じ箇所がはみ出ている。――  'Lay me, O, where /Sad true lover...'  そこでフィンジは自分のフレーズもはみ出させている。だからその節のバランスを取るのに6小節が必要だった。バチャン島民族の曲がりくねった長いフレーズのひとつの中に、 歌のすべての悲しみを込めるのである 。  フィンジは  'Fear no more the heat o' the sun'  を 20 代で残した。この頃には、彼はミルトンのソネット集と武器よさらばのアリアを作曲している。これらを見てみると、すべてが人生の短さについてである。つまりこのムードで彼はどのようにして「金持ちも女もみんな、煙突掃除屋みたいにゴミになる」に抵抗できたのだろうか? この死はふたつの側面をもってる。元気づけられる? ――それは言う、おそれはもはやなく、日は熱く、冬の猛威、中傷、非難。しかし人生がもはや傷つけられない安堵はドスンという音、幻滅気味の「…