フィンジはシェイクスピアを、まるで自分が初めてそうする作曲家であるかのように位置づけている。《 花輪をささげよう》の中に は彼にとって最も思い出深い歌曲が2曲ある。あらゆる教養ある作曲家が ' Come away, come away, death' の言葉に対して、自分のリズムを考え出してきたことだろう。しかし、 'death' という言葉についてジェラルド・ムーアが「気高き落下」と呼んだものによって、ふたつの小さな盛り上がりを締めくくったのは、この言葉の内面的な真理を発見したのと同じことなのであった。この歌はフィンジの不協和音の腕前がその最も核心的な点で示されている。それぞれの行の後半における引き伸ばされた解決は、悲しげに引っぱるだけでなく、参列行進のようなオープニングとのバランスを取ってもいる。そして歌手の幅の広い跳躍が緊張感を高めるのだ。この歌はフィンジの作品においては珍しく最後の 'weep' に 12 音のすごいメリスマ〔節回し〕がある。この詩をパッと見てみると、いかにそれが起こりえたのかが分かる。第一節の、 'O, prepare it!' という簡素な一行は行末で収まっている。ところが、第二節では同じ箇所がはみ出ている。―― 'Lay me, O, where /Sad true lover...' そこでフィンジは自分のフレーズもはみ出させている。だからその節のバランスを取るのに6小節が必要だった。バチャン島民族の曲がりくねった長いフレーズのひとつの中に、 歌のすべての悲しみを込めるのである 。 フィンジは 'Fear no more the heat o' the sun' を 20 代で残した。この頃には、彼はミルトンのソネット集と武器よさらばのアリアを作曲している。これらを見てみると、すべてが人生の短さについてである。つまりこのムードで彼はどのようにして「金持ちも女もみんな、煙突掃除屋みたいにゴミになる」に抵抗できたのだろうか? この死はふたつの側面をもってる。元気づけられる? ――それは言う、おそれはもはやなく、日は熱く、冬の猛威、中傷、非難。しかし人生がもはや傷つけられない安堵はドスンという音、幻滅気味の「…
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