スキップしてメイン コンテンツに移動

【翻訳】LANGUAGE【言語】

LANGUAGE
音楽というのはしばしば言語の側に関係するものであり、音楽学は書かれた言葉によって提示される。書かれたものは、たとえば作曲家の様式的・和声的な言語みたいなファクターと関係しているわけだが、しかし音楽はどういった点で言語でありうるのかということ、あるいは音楽と言語の関係性や類似点の本質とは何なのかということを、はっきりと説明するのは困難である。
音楽と言語との比較は長い歴史を持つ。音楽は、その歴史の大部分にとり、どうしても声や言葉とつながらざるを得なかった。それは演劇的・礼拝的な文脈――それが音楽の発展への枠組みを作り出したわけだが――においては、テキストというものが重視されたからだ。音楽と言語の関係にいくつかの理論的な基礎を与えられたのは、修辞学という技芸を通じてのことであった。それは古代ギリシア・ローマの修辞学に則った文学において形成されたわけだが、特に15世紀初めにクインティリアヌスの『弁論家の教育』が再発見されたことは、音楽的思考に重大なインパクトをもたらしたのである。修辞学はとりわけ、5つに分けられた段階――主張の創案(案出 inventio)からその表現(措辞 elocutio)まで――を踏むことによって、言葉のディスクールを本質的に体系化した。修辞学を音楽へと転写して、この関係性に基礎を置くあるいは関連づけた多くの論文が書かれることで、初期の音楽学は形成されたのである。
バロック期に、修辞学という枠組みによる音楽と言語との比較を最も明確に定義し、理論的な基礎を与えたのは、この時代の最も重要な論文のひとつであるマッテゾンの『完全なる楽長』(1739)である。それが提示するのは作曲についての合理的な基礎と構造的なプランだ(ハリス 1981を参照されたし)。マッテゾンは配列や詳細、修飾などといった「修辞学的な」語を用いて、旋律を構造化する基礎にしている(同上 469)。またバロックという時代には、音楽的な造形を何か音楽上の語彙のようなものにカテゴライズしようとする分類学的なアプローチを取った論文が膨大に生み出されてもいる。対照的に19世紀ロマン派の時代には、言語にかなり異なった評価が現れた。シューベルトやシューマン、その他の歌曲において明らかなように、テクストの使用は依然として目立っていた。オペラにおいてもふたたび音楽における言語学的な可能性が認識されるようになったのは、ワーグナーがライトモチーフを使用したためだった。また音楽批評が興隆し、美学が発展途上にあったこともこの問題――言語によって音楽を描き出し、強調しようとする努力――を強調することになったのである。
しかしながら、音楽と言語にある描き出すという共通点は、あるいは言語の側から定義した音楽というものは必ずしも音楽を言語として理解した結果とは言えない。
この理解を創出しようと最も拡大した試みがなされたのは、デリク・クックの『音楽の言語』(クック 1959)において、である。この本は調性という音楽上の特質に思いをめぐらすことで一般的な語彙を体系化しようと試みながら、しかし音楽はある意味で言語であるという前提に対しても疑問を投げかけている。ドイツの評論家テオドール・アドルノによれば「音楽は言語に似ています。たとえば音楽的なイディオムとか音楽的なイントネーションといった表現は単なるメタファーではないのですね。しかし音楽は言語によって自己を証明しているわけではありません。この類似性は、何か本質的な、しかし曖昧なものを指し示しています。文字通りに取れば誰もが確実に取り違えることでしょう」(アドルノ 1992b, 1)。
 ひょっとすると音楽と言語の共通点は、関係としての類似性を誤読することに至った点にあるのかもしれない。つまり音楽は言語に似ている――実際に言語になることはないが〔という誤読のことだ〕。

さらに興味のある人は:
Bonds 1991
Bowie 1993
Clarke 1996
Paddison 1991
Ratner 1980
Street 1987
Thomas 1995

コメント

このブログの人気の投稿

フィンジの伝記から、《花輪をささげよう》Let us Garlands bring に関する部分をちょっとだけ訳してみた。

フィンジは、まるで自分が初めてシェイクスピアを曲にしているかのように、その詩に曲をつける。彼の最も記憶に残る2曲を含む「Garlands bring」には、そのことがよく表れている。「Come away, come away, death」の言葉のために彼が選んだリズムは、文学的な素養を持つ作曲家であれば誰でも考えつくことができるだろう。しかし、ジェラルド・ムーアが「高貴なドロップ」と呼んだ、2つの小さな上昇音の後に「death」という言葉を置くことは、言葉の内なる真実を見出すことだった。この曲は、フィンジの最も確かな不協和音の扱いを見せる。各節の後半の遅れた解決は、悲しげに引きずられるだけでなく、進行的なオープニングとバランスをとっている。そして、歌手の広い跳躍は緊張感を高める。この曲は、最後の「weep」の12音符の大きなメリスマのために、フィンジの作品の中では珍しい。詩を見ると、どのようにしてこの曲が生まれたのかがわかる。1節では、「O, prepare it!」という短い行は韻律的に区切られているが、2節ではその対応する行は「Lay me, O, where /Sad true lover...」と続いており、フィンジも同様にフレーズを続けている。そして、2つの節をバランスさせるために6小節が必要となり、歌の悲しみをすべて1つの長いバッハ的な曲折のあるフレーズに集約している。 フィンジは、「Fear no more the heat o' the sun」を20代に作曲しており、ミルトン・ソネットや「Farewell to Arms」のアリアと同じ頃である。それらすべてに共通しているのは、人生の短さというテーマである。そのような気分の中で、彼は「Golden lads and girls all must, as chimney-sweepers, come to dust」に抵抗することはできなかっただろうか。この詩は曖昧である。それは慰めだろうか?「fear no more」と、太陽の熱、冬の激しさ、中傷、批判を恐れることはないと言っているが、もはや人生が傷つけることができないという安堵感は、「...come to dust」という落胆したリフレインによって否定されている。フィンジは、感情をフォーマルでゆっくりとしたダンス・メジャーに抑え込んだ。...

【翻訳】エリフ・シャファク『イスタンブールの私生児』

エリフ・シャファク『The Bastard of Istanbul』(直訳:イスタンブールの私生児) TEDで知ったトルコの作家エリフ・シャファク。 Amazonで探したけど、 残念ながら日本語訳はまだされてないらしい。 仕方ないので英語で出ているやつを、 Kindleで無料お試し版をダウンロード。 ついでなので冒頭の部分だけちょっと和訳。 このエントリがきっかけになって、 誰かちゃんと翻訳してくれんものかしら。。。 書き出しはひたすら雨について書いてます。 雨だけでこんなに個性的に書けるのかと 感心してしまいます。 むしろこの後、 どういう風に展開していくのか気になりますね。 ■ ONE シナモン  いかなるものが天上から降ってこようとも、神にそれを呪ってはならない。そこには雨も含まれる。  たとえどんなものが降り注いできたとしても、たとえどんなに重い重い豪雨であったとしても、あるいはどんなに冷たい雹(ひょう)であったとしても、天国が用意してくれているものに対してはいかなる冒瀆(ぼうとく)も決してなされてはならない。誰もが知っている。そこにはゼリハも含まれる。  だが、7月の1周目の金曜日に、彼女はそこにいた。絶望的なほど混み合った道路の横に面した歩道を歩いていた。騎兵のように汗をかきながら、崩れたアスファルトの石に向けて――自分のハイヒールに向けて――声を荒げたところで道路の渋滞がなくなりはしないというのが都市における真理だというのに、狂ったように警笛を鳴らしまくるありとあらゆる運転手に向けて――その昔コンスタンティノープルという街を手にし、その間違いのために行き詰まりを見せたオスマン帝国に向けて――そして、そう、雨に向けて・・・このサイテーな夏の雨に向けて――次から次へと小さな声で悪態をつきながら。  雨はここでは苦行だった。世の中の別の部分で見れば、土砂降りというのはほとんどの人・物にとって間違いなく恵みとしてやってくるものだろう――穀物にとって良い、その地の動植物にとって良い、そしてロマン主義的な・余計なオマケを付けておくならば、恋人たちにとっても良いのである。もっとも、イスタンブールでは別だ。私たちにとって雨とは、必ずしも濡れてしまうということではない。汚れるということですらない。強いて言え...

坂本龍一『B-2 Unit』(1980)

無性に坂本龍一の『B-2 Unit』がききたくなった。 べつにインタビューを読んだりとかしてないので根拠はないし、これはただの想像にすぎないんだけど、坂本龍一はこのアルバムを制作にするにあたって「いかにしてポップスのクリシェをじぶんの語法のなかに引き込むか」ということを考えてたんじゃないかな。 1980年までに坂本龍一は(主にYMOで)一躍人気ミュージシャンになった。マスメディアと関わること……大衆に音楽を提供すること……と西洋近代の「芸術家」的なあり方との狭間でどうバランスを取っていくのかということはじぶんの人生の方向性を決定づける大きな問題だったとおもう。言い換えるなら、音楽で「食ってく」ことと「自分らしさ」をどう両立するか、ということだ。仕事をしないと体が保たないが、じぶんの表現をしないと精神が保たない。 とはいっても、このアルバムをきいていて彼が大衆的な音楽を軽視してたとはおもえなくて、むしろ楽しんで制作していたようにおもう。じぶんが仕事で扱っている音楽と、表現としての音楽(彼が大学で学んだであろうアカデミックな音楽語法)とをどう結びつけるのか。どうすれば結びつくのか。そういう接点を探しているようにもきこえる。そういう思考(試行)の痕跡が音として形式化した音楽。ぼくはそういうものに憧れる。だから、こういう想像をするのはたぶん、じぶんの願望をこのアルバムに投影してるからなのかもしれない。 あとこれは余談なのだけど、「これ、全部アナログで音つくってひとつひとつ録って重ねてるんだなー」と、その途方もない作業量を想像して目眩がする。現代のDAWとソフトシンセに甘やかされてるじぶんにはとうてい耐えられそうにない。そういう観点も忘れちゃいけない。