「どうやら近頃イゾンショーという病気が流行ってるらしい」
「へぇ、どんな病気なの?」
「分からん。ただ、聞いた話によると、頭からキノコが生えてくるらしい」
「キノコ? 菌類がよく育つの?」
「おそらくそうゆうことだろうな」
「あ、おじいちゃんの頭に生えてるキノコって、ひょっとしてイゾンショーのせい?」
「おそらくそうゆうことだろうな」
「死ぬの?」
「分からん。ただ、頭からキノコが生えたまんまで死ぬのは困るな」
「そうだね。棺桶に入んないもんね」
「まったくだ。どうせならふつうに死んでふつうの棺桶に入りたい」
「やだよ! おじいちゃん! 死んじゃダメだよ!」
「ふふ、お前はかわいい孫だよ」
「いま死なれたら頭のキノコの分だけ棺桶のサイズを大きくしなきゃいけないから家計が大変になるってお母さんが言ってたよ!」
「お前は家計のことを心配してるのか、えらいなぁ」
「うん、だって家計が大変なことになったらサンタさん(親父)がぼくにクリスマスプレゼントをくれなくなるもん!」
「ほぉ、お前はクリスマスに何がほしいんだい?」
「そりゃ当然ラジオさ!」
「はっはっは、ラジオかい。そんならこの老いぼれたじじいがプレゼントしたげよう」
「え、ホントに!? おじいちゃん、ホントにラジオくれるの!? てゆうか持ってるの!? 老いぼれたじじいなのに!?」
「ああ、もちろんだとも。ほら、そこの引き出しを開けてごらん。入ってるだろう?」
「え~と・・・あ、おじいちゃん、これ?」
「はっはっは、孫よ、それはラジオじゃない、エロ本だよ。この国の男どもはそれによって神の一手に近づくことができるんだ」
「なぁんだ、どおりでイヤらしいと思った。あ、じゃ、おじいちゃん、これだね、これがラジオだね」
「ざーんねん、それはお前のおばあちゃんだよ。それとわしが、さっきのエロ本でやってたようなことをして生まれてきたのがお前のお母さんなんだよ」
「ふぅん、生々しいんだね。あ、じゃあ、おじいちゃん、これがラジオだね、そうでしょ!」
「ふふふふ、かわいい孫よ、違うよ、それはプラズマテレビだよ」
「ええぇ~。絶対これだと思ったのにぃ・・・。おじいちゃん、ホントにラジオ持ってるの?」
「もちろんだとも。ほら、ここに」
「あ、おじいちゃんがずっと手に持ってたのが、ラジオだったんだね! ひどいや! おじいちゃん、ぼくのこと騙してたんだね!」
「はっはっは、いやいやすまなんだ。お前があまりにかわいいもんだから、ついつい、からかいたくなってしまってな。ほら、ラジオだよ、これをあげるからおじいちゃんを許しておくれ」
「わぁいわぁい、ラジオだラジオだ!」
「お母さんにも見せてやりなさい」
「うん! お母さんお母さん! 老いぼれのクソじじいがラジオをくれたよ!」
「あら良かったじゃない。これでクリスマスプレゼントは何もいらないわね」
「え・・・?」
「だってそうじゃない。あなたはずっと欲しがってたラジオを手に入れてしまったのよ? これじゃあもう、サンタさん(私の夫)はあなたにあげるものがなくなってしまったわ。だから、クリスマスは七面鳥だけで良いわよね?」
「や、やだよ! ぼくにだっていっちょ前に物欲があるんだい! 欲しいものが手に入ったら、また次の欲しいものができるんだ! 人間の物欲は恐ろしいものなんだよ! そして、それが人間である証でしょ! お母さん!」
「いいえ、それは違うわ。あなたは、人間は欲しいと思ってたものが手に入れたとしてもそれでは満足しない、また違うものが欲しくなってしまうと、そう言ったわね。それは正しいわ。それは人間の本性よ。あなたは間違ってない。けど、だからと言って、みんながそうした本性に素直に生きてたら、この世界はどうなると思う? みんながみんな、自分の欲しいものを手に入れて、また次の欲しいものも手に入れて、さらに欲しいものも手に入れたら? おそらく人間は、自分の欲しがったものはなんでも手に入るんだと勘違いし出すわ。けど、あなたも分かってるとは思うけど、それはおかしいのよ。いい? 私たちは絶対、社会という場の中でしか生活できない。それがどういうことか分かる? たとえばあなたはスーパーでよくお菓子を買うわね。けど、ある日地震が起きてスーパーが壊れてしまったら、あなたはそこでお菓子を買うことが出来なくなってしまうのよ。けど、こう言うとあなたは反論してきそうね、お母さん、簡単なことだよ、隣の街のスーパーに行けばいいんだよと。けど、それも根本的な解決にはならないわ。たとえば、全ての街のスーパーが潰れてしまったら? 私たちはパンもミルクも食べられなくなるわよ。だって、私たちはパンを作ることも牛からミルクを搾ることもできないんだから。私たちはそれを、パン屋さんや牧場に代わりにやってもらってるの。いい? 代わりにやってもらってるのよ、自分じゃ出来ないことを。これはすごく大事なことよ。社会というのは、大勢の人が自分の足りてない部分を補い合いながら生きていくための非常に合理的なシステムで出来てるの。あなたの出来ないことを誰かが代わりにやってくれる。その誰かのやれないことは、また別の誰かがやってくれる。これが何を意味するか、もう分かるわよね? そう、あなたも誰かの出来ないことを代わりにやってあげなきゃいけないの。ギヴ・アンド・テイクよ。自分が欲しいと思ったものがなんでも手に入ると思っちゃダメ。もしそう思いたいのなら、あなたも誰かに何かを与えなきゃいけないの。なぜかと言えば、それが社会というものだから。そして、あなたにしか出来ないこと、それはあなたの中に、絶対に、確実にあるわ。これは断言してもいい。だって、あなたはまだまだ子どもなんだもの。あなたには無限の可能性が秘められてるの。どういう風にだって生きることができるし、何者にだってなれるの。いい? それはとても素晴らしいこと。けど、あなたがもし自分の欲しいものが、何をしなくても手に入ると勘違いし出したら、そしてあなた以外のみんなもそう思い始めたら、人間は傲慢になる。社会は成り立たなくなり、誰も生きていくことができなくなるわ。私はね、大人になったあなたがそんな世界で生きてくのかしらと思ったら辛くてつらくてたまらないのよ。分かるわよね?」
「うん、分かるよ、お母さん。この世界はみんなが助け合っていくことで成り立ってる。けど、それは表面的な話で、テレビとか新聞でよくされるような話の受け売りに過ぎないよ。もちろん、みんながみんな、誰かのために生きていたら、この世界は素晴らしく良きものになると思うよ。けど、そんなキレイゴトよりももっと実際的な話をしようよ。ぼくが今お母さんの話を聞いてて疑問に思ったことは次の二点。まず第一に、お母さんが言うように、社会は大勢の人が自分の足りてない部分を補い合いながら生きていくことで成立している、確かにそういう側面もあるかもしれない。けど、実際のところこの世には人のものを平気で盗む人がいるし、レイプを繰り返す人もいるし、人を殺してしまう人もいる。しかもそれはたいてい誰かのためではなく、自分のためなんだ。自分の生活を満たそうとする泥棒、自分の性欲を満たそうとするレイプ魔、自分に都合の悪い人間の命を奪う殺人犯。結局みんな自分のためなんだよ。そして、そういう人がいるのに、不思議なことに社会は依然として成り立ってるんだ。お母さんはこのことをどう説明するつもりなの? 自分の欲しいものは何でも手に入ると思ってる、そういう傲慢な人間は、どれくらいいるのかは知らないけど、絶対にいるよ。しかも、そういう人に限って悠々と生きてるんだ。社会のどこかで誰かが苦しんでるとも知らずに。それこそ、その傲慢なやつの代わりに苦しんでる人間のことをね。それからぼくが疑問に思ったことのふたつ目は、ぼくにしか出来ないことがぼくの中に絶対に、確実にあると断言するそのお母さんの自信がどこからやってくるのかってことだよ。この世には何の取り柄もない、他のどんな人にも影響力を持たないような、そんな人間が確かにいるんだよ。そういう人間は、じゃあ、どうしたらいいの? 何かスキルを身につける? けど、どうやって? スキルを身につけるためのスキルさえなかったら? そういうどうしようもない人間に限って、お金もないし、人脈もないんだ。むしろお金もないし人脈もないから、そんな人間が生まれたとも言えるかもしれないけど、それはまた別の話だから置いとくとする。ぼくが聞いてるのは、お母さんが、ぼくが何の取り柄もない人間に決してなり得ないと確信してる、その根拠だよ。無根拠な確証ほど、子どもを不幸にするものはない。子どもは親の言うことを無批判に受け入れるからね。反抗という形を取りはするかもしれないけど、結局は親の言うとおりになってしまう。それが子どもというものなんだ。けど、だからと言って何の根拠もなしに、あなたには可能性があるのよ! なんて教えられて育った子どもが、親の言うとおり、誰かのできないことを代わりにやってあげられるような、立派な大人に成長するなんて、そんなことは、断言はできないよ。だって、子どもに秘められた可能性というのは、もちろん社会の役に立てる、立派な大人になる可能性を含んでるけど、同時に、ぜんぜんまったく社会の役に立たない人間になる可能性だって含んでるんだからね。そういうわけだから、あなたには可能性があるのよ! なんてセリフはみだりに使っちゃいけない。もっと注意深く使わなきゃいけないよ、お母さん。本当に子どもの未来を考えてくれてるならね」
「そうね、あなたの言うとおり、よく考えもせずに可能性、なんて大雑把な言葉を使ってしまったのは軽率だったわ。ごめんなさい。けどね、私があなたに可能性なんて話をしたのはそもそもあなたが自分の欲しいものがなんでも手に入ると思ってしまうような、そんな傲慢な大人になってほしくないという、その一心だったのよ? そのことだけは誤解してほしくない。そして、あなたが疑問に思ってたように、この世には確かに誰のためにも動こうとしない、どうしようもない人間がいることも認めるわ。それは事実だもの。けど、あなたは私の話を表面的とかキレイゴトなんて言ってたけど、それはある面では正しくてもある面ではやっぱり間違ってるわ。自分では何もやらずに他人のやってくれることを享受するだけの人間は大勢いる。けど、それでも依然として社会が成り立ってるのは、自分の代わりに何かをやってくれない人の分まで何かをやってくれてる人たちがいるからよ。私たちは彼らの存在を絶対に忘れちゃいけないの。こう言うとあなたは胡散臭く思うかもしれないけど、それは無償の愛、と呼んで何の差支えもないものよ。どんな見返りを求めず誰かのために何かをすることがただただ嬉しくてたまらない、と彼らは言うと思う。それはたとえば貧しい人にお金を与えることみたいな、そんな陳腐なことだけじゃなく、家族が、家族のために働くことだってそうよ。母親が子どもに乳を与えるのはどう考えても無償の愛よ。だって、母親は赤ん坊に何かをしてもらうために乳を与えてるわけじゃないもの。授乳は一銭のお金にもならない。母親はただただ子どもに与えたくてたまらないのよ。それが母親ってものであると同時に、家族ってものなのよ」
「なるほど、お母さん、母親が赤ん坊に乳を与えるのはそうしたくてたまらないからだというのはとても分かりやすかったよ。ふーん、無償の愛か。けど、じゃあお母さんは大事なことを見落としてるね。ぼくのクリスマスプレゼントのことさ。サンタさん(親父)がぼくに何かプレゼントをくれるのは、今の話で行くと、ただただプレゼントしたくてたまらないからじゃないの? サンタさんはもちろん、無償の愛の行使者なんでしょ? だったら、ぼくみたいな傲慢な人間が望んだことを叶えてくれるのがただただ嬉しくて仕方ないんじゃない? お母さんは、それを邪魔するっていうの? それは何かおかしい気がするよ」
「もう、あなたはホントに分からず屋ねっ!」
「分からず屋はどっちだよ、お母さん。ぼくはただおかしいと思ったことをおかしいと言ってるだけで」
「それが分からず屋って言うのよ! 子どもは黙って親の言うことを聞いてればいいの! 分かるでしょ?」
「分かるよ。お母さんの方がぼくなんかよりも断然分からず屋だってことがね!」
「まあ、なんて生意気なの、この子は!」
「どっちが生意気さ。お母さんなんて頭の悪いことを口やかましくピーピー喚いているだけじゃないか。そんなのでよく母親が務まるね!」
「まあなんてこと言うの! わたしがどれだけあなたのことを思ってるのか、今のあなたには分からないんでしょうね!」
「今も昔もこれからも分からないよそんなこと。ぼくとお母さんは違う人間なんだから、別人なんだから!」
「ああもうなんてことかしら! どうしてこんな子に育ってしまったの!」
「おい、もうよさないか!」
「あ、おじいちゃん」
「お父さん! 安静にしてなきゃダメですよ、頭にキノコ生やしてるのに・・・!」
「そうだよ、おじいちゃんは引っ込んでてよ、頭からキノコ生やしてるくせに」
「ふふ、もうどうせ長くは持たないさ。それよりも、もし自分の目の前で自分の娘と孫がケンカしたまま、おれが死んでしまったら、なんて考えたら泣けてきたよ。くだらない言い合いはやめなさい。さっきから聞いてれば、ギヴ・アンド・テイクだとか無償の愛だとか、そんなもので本当に社会が良くなるなんて信じてるのか? そもそも社会は良くなったり悪くなったりするもんじゃないだろう。ただ我々を包んで存在してるだけだ。人間がとやかく指図してそれで社会がどうかなるなんて、そんな甘っちょろい話じゃないんだよ。社会というのは人間にとって必然的なものだ。つまり人間はひとりじゃ生きてけないんだよ。大昔、だだっ広い平原の上にひとりの女が立っていた。その目の前にひとりの男が現れて女の肌にちょっと触れた。その時まさに社会が生まれたんだ。社会はふたりの男女の間にも、何百万もの人々の間にも成立する。なぜなら人間が社会的な動物だからだ。それぐらい根本的なものが、傲慢な人間とか無償の愛の行使者なんてもので、簡単に変わってしまうわけがない。それはどんな独裁によっても侵されはしない。制度とか構成員とか表面的なことは変わるかもしれない。しかし社会の根本部分は決して変わらない。それはつまるところ、関係ということだよ。我々は常に誰かとつながってて、今まさにここにいる。誰かとつながってるからこそ、いられるんだ。だから、ごほぁ・・・っ!」
「おじいちゃん・・・っ!」
「お父さん・・・っ!」
「はは、しゃべり過ぎたらしい。もう、これまでだよ。おしまい。そんなもんさ。はは、はは、はは・・・はは」
「おじいちゃん! 死んじゃダメだよ!」
「そうよ、お父さん! 死んじゃダメ! いま死なれたら、頭のキノコの分だけ、棺桶代かかっちゃうのよ!?」
「この期に及んでなおちゃんと家計のことを考えてるのかぁ・・・えらいなぁ・・・」
「お、おじいちゃん・・・っ!」
「お父さん! お父さん! しっかりして! お父さん・・・っ!」
ダイニングルームのテーブルに、息子と母が向い合って座っていた。喪服の色が蛍光灯の白い明かりを吸収しているのか、部屋全体が薄暗いようであった。
息子が、「お母さん」と話しかけると、母親は「なに?」と言った。
「なんでおじいちゃん、死ぬ前に笑ってたんだろ?」
「何かに甘えてたのよ、きっと」
(このエントリは〈ラジオ〉〈依存症〉とゆうふたつのお題をいただいて書いたものです。)
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