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舞城王太郎『淵の王』(新潮1月号掲載)

舞城王太郎『淵の王』は、
『ディスコ探偵水曜日』以降の舞城王太郎を総括する傑作です。

ぼくはこれまで出来うる限りの舞城王太郎作品を読んできたつもりですが
『ディスコ探偵水曜日』を書いてからの舞城が
何をやろうとしているのか、いまいちわからないでいました。
しかし、今回『淵の王』を読んで、
自分なりに腑に落ちるところがありました。
まだ具体的にうまく説明することはできないのですが、
個人的にこれからの舞城の活動にはかなり期待を寄せているところです。

ちなみに、舞城王太郎でいちばん好きな作品はなんですかと聞かれたら、
これまでは『ドナドナ不要論』と『Good But Not Same』と答えてましたが(どっちも単行本未収録)、
これからはここに『淵の王』が加えようと思っています。
それくらい感銘を受けました。

『NECK』における想像力と恐怖、
『ディスコ探偵水曜日』における意思と時空、
『ビッチマグネット』における関係性と暴力といったテーマが、
『九十九十九』や『JORGE JOESTAR』のような、
ゲーム的リアリズムの手法で有機的に(論理的に、ではなく)
つなげられていくプロセスに、
読んでいるあいだじゅう、興奮しっぱなしでした。

舞城王太郎『淵の王』は、
『ディスコ探偵水曜日』以降の舞城王太郎を総括する傑作です。
舞城好きを自称しておきながらまだお読みでない方(とくに『ビッチマグネット』以降、読んでないという方)、
ぜひお読みになるべきです。
舞城は違うステージへ(次のステージではなく)突入したような気がします。

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