FEMINISM 広くフェミニズムと呼ばれてるような運動への最初の刺激となったのは、より平等で包括的な社会を構築するために、政治的・経済的・社会的・文化的なディスクールの形態において女性が男性によって軽視され、あるいは下位のものとされている状況を逆転させようという関心だった。理論としては、それはメアリ・ウルストンクラフトの「女性の権利の擁護」( 1792 )にまで遡れる。第二次世界大戦が終わった直後からしばらく間を置いて社会における女性の経済的・政治的な立場への関心が生まれ、フェミニズム論は女性の文化的な経験に注意を向けるようになった。最近では、多くの異なったタイプのフェミニズムが起こってきた。マルクス主義やリベラル・フェミニズムを含め。フェミニズムは 1980 年代に広く新音楽学とカテゴライズされる他の学際的なアプローチと並んで、音楽学の主要な関心となった。このことに先んじて、 1970 年代、音楽学者たちはすでに忘れられた女流作曲家や演奏家を再発見し始めており、この観点から〈天才〉や〈カノン(規範)〉、〈ジャンル〉、〈時代区分〉といったような、既存の概念について吟味し始めていたのだ。しかしながら、 1980 ~ 90 年代を通じて、スーザン・マクレアリやマルシア・シトロン、ルース・ソーリーといった音楽学者たちは、一般的な規範から女流作曲家を閉め出す文化的な理由について考え始めていた。他の著作家たちは女性はどうしても生態的に男性より作曲をするのに適していないという、かなり本質的な見方、つまり決して実証されえなかった主張(ハルステッド 1997 )に疑問を投げかけている。そうではなくて、女性の作曲家が欠落していることは、社会的・政治的な条件次第で説明せねばならないわけだ。 マルシア・シトロンはジェンダーと音楽における規範という問題について研究した。つまり、ジェンダー化されたディスクールとしての音楽という考え方や〈プロ〉という理念、女性の音楽受容という問題について(シトロン 1993 )。彼女の研究はまた、音楽生産の側についても再考している。彼女が注意を引いたのは、 19 世紀初期に、ベートーヴェンやシューベルト、ショパンといった作曲家によるソナタや他の室内楽曲が、プライベートなサロン――それはしばしば女性によって確立されたものだった――において享受されていたとい...